弥勒の旅路、シルクロードを東へ 「終焉の地」奈良に思う

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編集委員・中村俊介
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 この秋、東京芸術大学台東区)の大学美術館で「みろく――終わりの彼方 弥勒(みろく)の世界」を見た。目玉はアフガニスタン仏教遺跡バーミヤンに描かれていた「青の弥勒」の想定復元。今世紀初頭に消滅したこの弥勒仏の壁画は、はるか中央ユーラシアと天平期の奈良がシルクロードを介して信仰の絆でつながっていたことをしのばせる。

 「青の弥勒」はかつて、渓谷にうがたれたE窟の天井にあった。頭の側面にリボン状の冠帯を翻し、肢体を彩るラピスラズリの鮮やかな群青は澄み渡る中央アジアの空にも似て、目も覚めるよう。しかし2001年、イスラム主義勢力タリバンが破壊し、いまはない。その失われた壁画を、最新技術は上野の森に原寸大でよみがえらせた。

 弥勒如来は釈迦の入滅から56億7千万年後に現れるという未来仏だ。来たるべき時まで、兜率天(とそつてん)で菩薩(ぼさつ)として修行している。誕生の地はカピーシー(アフガニスタン)からガンダーラ(パキスタン)にかけてとも。1~2世紀ごろ、ペルシャの太陽神ミスラと仏教が、遊牧民の建てたクシャン朝下で出会い、弥勒は生まれたという。

 やがて弥勒は東へ東へと旅を始める。歩を進めるにつれてその姿は少しずつ変化し、手に水瓶(すいびょう)を持ったり両足を組む交脚像だったりしたものが椅座(いざ)や半跏思惟(はんかしい)像になった。

 かつて中国僧の法顕(ほっけん)はインドへの求法の旅の途中で弥勒の像を目にし、そこに仏教東漸の面影を見た。日本で飛鳥文化が花開いた7世紀には、かの玄奘(げんじょう)三蔵がバーミヤンを訪れ、『大唐西域記』に記録を残した。

 「玄奘も描きたての『青の弥勒』を見ていたことでしょう」と前田耕作・東京芸大客員教授。会期中のシンポジウムに参加した敦煌研究院の張元林さんはバーミヤンと中国・敦煌(とんこう)莫高窟(ばっこうくつ)の壁画に共通点を見いだし、「(両者は弥勒信仰が)東へ伝わる中継点としての重要な役割を果たした」と語った。

 そして旅の果てに到達した最…

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