31年前にもあった石油放出の打診 海部氏は「パニック招く」と拒否

編集委員・藤田直央
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 原油高を受け米国のバイデン大統領が世界に呼びかけ、日本も同調した国家備蓄石油の放出。32年前、イラクのクウェート侵攻に始まる湾岸危機のさなかの日米首脳会談でも打診されていたが、当時の海部俊樹首相は「国民のパニックを招く」と断っていた。先月に外務省が公開した外交文書に会談録が含まれていた。

 1990年9月29日夜、ニューヨークのホテル。ブッシュ(父)大統領は3日前に発表した米国の国家備蓄石油の一部放出について、海部氏にこう語った。

 「シカゴなどで石油価格を投機で引き上げを図る動きがある。(90年)第4四半期には石油不足が見込まれるので取り崩す。日本の同調を直ちに求めているのではなく、(当時の西ドイツの)コール首相にも同様の説明をする予定だ」

 イラクにクウェート撤退を迫る米国主導の多国籍軍の展開が進む一方で、石油価格は高騰。米国に次ぐ経済大国だった日本への期待は強かった。直ちには求めないと言いながら、ブッシュ氏は念を押した。

 「緊密な連絡を維持し、可能な限り協調行動をとり、必要に応じ備蓄の一部を共同して取り崩すことができれば、投機を行う者に強いメッセージを送ることができよう」

 日本では国家備蓄石油の放出は、海外からの供給減や災害で不足の恐れがある時に限られている。湾岸危機発生直後には武藤嘉文通産相が可能性を示唆するなど揺れたが、海部氏はブッシュ氏にこう答えた。

 「対応を政府内で検討したが、現時点では政府による(国家)備蓄取り崩しは国民の心理的パニックを招くので行わず、石油価格の上昇は中東で危機が発生した以上当然のこととして国民を説得していく考えだ」

 「(湾岸)危機がわが国の石油需給に影響を与えるのは当然で、今後量の不足が発生すれば別だが、当面は備蓄を取り崩す考えはない」

 海部氏は帰国後、この方針を維持。翌91年1月に多国籍軍がイラクを攻撃して湾岸戦争が始まった時には「石油備蓄を機動的に活用」と述べたが、2月に多国籍軍が勝利し、同月に民間の備蓄4日分が放出されたにとどまった。

 それから30年後の昨年11月、日本政府は米政府の呼びかけに応じ、初の国家備蓄石油の放出を決めた。支持率低下に悩むバイデン政権がガソリン価格引き下げを狙ったもので、日本の同調は法的に説明が難しい。それでも岸田文雄首相は「米国と歩調を合わせ、石油備蓄法に反しない形で国家備蓄石油の一部売却を決定した」と述べた。(編集委員・藤田直央

日米経済関係に詳しい大矢根聡・同志社大教授の話

 日米経済関係に詳しい大矢根聡・同志社大教授の話

 海部首相には湾岸危機で米国の貢献要請に揺れたイメージがある。だがこの会談録によれば、発生翌月のブッシュ大統領との会談で、石油の国家備蓄取り崩しについて連携を断るという強い主張をしていた。最近、岸田首相がバイデン政権の要請で取り崩しを初めて決めたのと好対照にも見える。

 しかし湾岸危機発生当初、日本政府は石油不足は深刻化していないとみていた。また、国内エネルギー供給での石油依存度は現在より十数%高く、それは米国側も理解していた。米国側は海部内閣が表明した多国籍軍や紛争周辺国への支援の上乗せを求めており、石油対策の優先順位は高くなかったと思われる。