言葉が衝突、相手が悪魔的に見える 「聞く」秘密とは 東畑開人さん

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 自分の言葉は、どうしてあの人に届かないだろう。そう思うこと、ありませんか。最近「聞く力」という言葉を頻繁に目にするようになりました。臨床心理士の東畑開人さんは、相手の話を聞くためには、まず自分の話が聞かれないといけない、と指摘します。言葉の行き交いにヒリヒリする感覚が伴うとき、そこには何が起きているのでしょうか。東畑さんが考えます。

 このコラムは、11月25日に開催されたイベント「記者サロン×耕論 東畑開人さんに聞く 心に響く言葉の語り方」で、読者から寄せられた質問などを踏まえて書かれました。当日のイベントの動画は、記事の後半で見られます。

東畑開人さんの「社会季評」

 対話が大事、と至るところで語られている社会とは、対話が難しくなった社会にほかならない。

 社会を二分するイシューを思い浮かべてみてほしい。憲法や歴史認識でも、子育て給付金でも、皇族の結婚でも、あるいはコロナ禍における忘年会の是非でも、なんでもいい。社会にはヒリヒリした問題がたくさんあり、立場の異なる者同士が、膨大な言葉を交わしあっている。

 エビデンスやファクト、ロジックや物語が行き交う。だけど、言葉は両者を余計にヒリヒリさせるだけで、全然伝わらない。すると、より強く主張せねばと互いに思うから、声は大きくなり、言葉は硬くなる。トゲが生える。かくして切っ先鋭くなった言葉たちは対話を深めるのではなく、対立を深めてしまう。

 新聞や雑誌でも両論併記が難しくなっていると聞く。異なる立場の意見を同じ場所に置いておくと、紙面も読者もヒリヒリしすぎてしまい、伝わるべきことまで伝わらなくなってしまうのだと思う。

 伝え方の問題だろうか。いや、「聞く」が不全に陥っている方が問題だ。両論併記の紙面を眺めるように、難しくなった対話を外から見ていると、お互いに相手の言葉を誤解し続けているように見えるからだ。というのは、第三者による気楽な戯言(ざれごと)なのだろう。当人たちは相手の話を必死に聞こうとしているからだ。だとすると、何が起きているのか。

 たとえば、古い友人と再会し…

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