「見れば誰もが銀座とわかる」時計塔の和光 ショック何度も乗り越え

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伊沢健司 内山修
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 東京・銀座の中心地にあり時計塔で知られる「和光本館」が、「SEIKO HOUSE GINZA(セイコーハウスギンザ)」に生まれ変わる。建物はそのままに、屋上を「スカイガーデン」にするなど、集客力を高めるねらいだ。

 銀座のシンボルである和光本館の時計塔は、明治時代から100年以上も時を刻んできた。

 1881(明治14)年、服部金太郎氏が時計の小売りと修理を手がける「服部時計店」を起こした。いまのセイコーホールディングスだ。94(明治27)年に銀座4丁目交差点の角地にある新聞社の社屋を買い取って増改築し、95年から初代の店舗で営業を始めた。建物の屋上には時計塔が置かれた。

 1913(大正2)年には、服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売した。事業は拡大し店舗の建て替えをすることになったが、23年の関東大震災で被害を受けた。工事は中断したが32年に完成した。私たちが現在も目にするのはこの2代目の店舗だ。

 ネオ・ルネサンス様式の7階建てで、建築家・渡辺仁氏の設計。地上から約40メートルの位置にある時計の四方の文字盤は、ほぼ正確に東西南北を向いている。直径2・4メートルの文字盤に1・17メートルの長針と75センチの短針がある。かつては振り子式だったが66年にクオーツ式になった。

 関東大震災を踏まえ、外装には火災や地震に強い天然の花崗(かこう)岩などが使われた。店内の壁面にはイタリアから輸入した大理石が用いられた。太平洋戦争空襲で周辺は焼け野原になったが、時計塔は残り「戦火を乗り越えてきた希望の象徴」ともなった。

 戦後は接収されて占領軍専用の売店として使われた。52年に接収が解除されたあと、服部時計店の小売り部門が独立した「和光」として営業している。54年からはチャイムが鳴るようになった。

 2009年には経済産業省によって「近代化産業遺産」に認定された。(伊沢健司)

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