信長に侵略された伊賀忍者、島根・松江藩にも 三重大教授が調査

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藤井匠
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 第2次天正伊賀の乱(1581年)で織田信長の侵略から故郷を逃れた伊賀忍者の一部が、松江藩(現在の松江市が拠点)などに仕官し、重用されていたことが、忍者研究で知られる山田雄司三重大学教授の研究でわかった。概要は書籍「松江藩の忍者~松江忍者のルーツを探る~」(松江観光協会編集・発行)に掲載。伊賀忍者はやはり、実力あるピカ一の忍びだった!

 山田教授は忍者を生かす観光振興を目指す松江市側に頼まれ、3年がかりで松江藩の忍者を調べた。

 研究によると、後に松江城を築く武将堀尾吉晴が第2次天正伊賀の乱後、伊賀者40人を雇い、松江へ。大部分は火術を買われ、鉄砲隊として大坂の陣に参戦した。30人ほどは、江戸初期の町割りを示す「堀尾期松江城下町絵図」で松江城南西に名を記されていた。「早道」との表記もあり、津軽藩に「早道之者」と称す忍者がいたことから、鉄砲隊の伊賀者が忍びに特化したと推測されるという。

見えてきた堀尾家断絶後の就職活動

 さらに岡山藩関連の史料と合わせ、絵図にある伊賀者複数の来歴が判明。堀尾家断絶後の就職活動もうかがえた。

 例えば、「与右衛門」は伊賀…

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