やわらかな陽光が、グラウンドの祭壇に差し込んでいた。
昨年2月に84歳で亡くなった野村克也さんをしのぶ会が12月11日、神宮球場で開かれた。
プロ野球4球団を指揮した知将は、他球団で芽が出なかった選手をよみがえらせ、「再生工場」と呼ばれた。その第1号、江本孟紀さん(74)が弔辞を読んだ。
「あなたには神宮球場も似合うけど、私の目に焼き付いているのは大阪球場の、南海ホークスの野村克也です。あなたとの出会いがあったから、いま私はここに立っています」
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50年前、1971年冬。江本は単身、東京から大阪へと車を走らせていた。
この年、東京を本拠とする東映フライヤーズにドラフト外で入団した。0勝4敗。早くも12月には南海にトレードになった。
最初の練習で、4番で捕手で監督の野村と出会った。監督室に呼ばれ、開口一番、言われた。
「敗戦処理で出たお前の球を…
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