第3回満員のスタジアム、鳴り響く爆発音 大統領が試合続行を指示した理由
2015年のパリ同時多発テロは、サッカースタジアムで始まった。
場所はパリ郊外。フランスがワールドカップを自国開催した1998年、初優勝を遂げた決勝会場だ。
15年11月13日の夜、その「スタッド・ド・フランス」では、サッカーの独仏親善試合が開かれていた。
ほぼ満員の7万9千人が詰めかけていた。貴賓席では、大統領(当時)のオランド、そしてドイツ外相(現・独大統領)のシュタインマイヤーが肩を並べた。オランドは長男のトマも連れていた。
国家元首が見守るイベントとあって、この夜は憲兵隊に加え、1560人の民間警備員も動員された。
ポールアンリ・ボール(69)もその一人だった。83年に警備会社に就職して以来、この道一筋。陽気な入場客とのやりとりを楽しんできた。
この日、ボールが割り当てられたのは、屋外のHゲート。18ある入り口の一つで、スタジアムの北東側にある。金属の柵を前もって並べ、それに沿って客を誘導する任務だった。
同僚が客のチケットを点検し、金属探知機へ促す。さらに奥で待つ警備員が、客に両手を広げてもらい、不審物を身につけていないかを調べる手順だった。
午後6時半ごろが入場のピークで、広場には数百人の列ができた。
午後9時、キックオフ。入場客はもうまばらだった。ボールが柵を撤収しようとしたときだった。爆発音が聞こえてきた。
劇場などが次々に銃撃され、130人が亡くなった2015年のパリ同時多発テロ。20人の被告を裁く特別法廷が始まり、テロを生き延びた人々があの夜の重い記憶を詳細に語り始めました。あの夜、何があったのか。生還者の証言から事件を振り返ります。
数十メートルほど先だろうか…
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