あいみょんに嫉妬したエヴァの作詞家 「あのまちが歌になるんだ」
「一番、頭がおかしい時期だった。若さはバカさね」
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主題歌「残酷な天使のテーゼ」などの作詞家・及川眠子(ねこ)さん(61)は、ひたすらに歌詞を書いていた18歳のころを、そう振り返る。
成人年齢が2022年4月1日、20歳から18歳に引き下げられます。18歳のころ、どんな「オトナ」になろうとしていたか聞いてみました。
「とにかく音楽が好きだった。でも、私が音の人ではないのは分かってたから。楽器も歌もダメ」。中学生のころから作詞家を目指していた。
「どうすれば、作詞家になれるかなんて、分かんなかったからね」
他の人の歌詞をまねた。高校生になってからは、アメリカのロックバンド「ザ・バンド」など洋楽を聞き始め、意訳したり、歌詞を当てはめたりしていた。
和歌山県内の公立高校を卒業後は、大阪府内の短大に進学した。「私のなかに和歌山に対して閉塞(へいそく)感があった。浜田省吾の『MONEY(マネー)』。あんな感じ」。地元の商店街を思い浮かべながら
♪ハイスクール出た奴等は次の朝
♪バッグをかかえて出てゆく
と、口ずさんだ。
ただ、すぐに作詞家として活躍できないことは分かっていた。「まだまだプロになんか、なれなかったからね。とにかく猶予期間がほしかった」と話す。本当は4年制大学に行きたかった。だが、二つ下の弟がいて、在学期間がかぶるから学費がかさむ、と両親から反対されていたこともあって短大に進んだ。
「ゆっくり大人になればいい」
今の18歳にはそんなメッセージを送る。
歌詞の全ては想像だった
当時、歌詞の全ては想像だった。「恋愛も、セックスのことも、生活も未来も、なにもかも想像。だって、18歳だよ。人生経験が浅いから」
「別に、尾崎豊(の歌)みたいに、夜中に盗んだバイクで走ったことなんてないし。ただの陰気な文学少女でしかなかったから」と笑う。
中学生からプロとして活動するまでの10年ほどを「訓練期間」だったと表現する。
読んだもの、見たものが「すごく自分の骨となっている」という。読んでいたのは、芥川賞作家の吉行淳之介や、「時をかける少女」の著者で大阪府出身の筒井康隆さん(87)。そして、和歌山県新宮市出身の中上健次だった。
中上の著書を読み、「絶対に自分は小説家なんか目指さないと思った」と振り返る。「この人みたいに生まれた時から書くテーマを持っていなかった。この人と勝負したら、確実に負ける」と感じたという。
フィクションに没頭していた及川さんは、19歳を目前にした1979年1月26日に大阪市であった「三菱銀行北畠支店」の強盗事件をテレビのニュースで目にした。建物の周囲を多くの機動隊員が囲む。猟銃を持った男が人質をとって立てこもり、警察官、行員を射殺した。
「こんなことが現実で起きるのか。小説より現実の方がはるかにすごいことが起きていると知った」
それ以降、ノンフィクションの作品を好むようになった。
約1300の楽曲作詞
及川さんはいま、「訓練期間」を振り返り、「実力もない、なにも出来ない自分を、『うぬぼれる』ことでしか支えきれなかったんだよね」と懐かしむ。
「自分は選ばれた人だって。一番頭のおかしい時期だった。井の中のかわずね。若さはバカさ」とほほえんだ。
1985年、25歳の時に「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」で最優秀賞を取り、プロの作詞家として活動が始まった。
以降、Winkの「淋しい熱帯魚(89年日本レコード大賞受賞)」や、やしきたかじんの「東京」などヒット曲を連発。約1300の楽曲の作詞をしてきた。
あいみょんが歌うと…
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他人をまねて歌を書き、小説…