「家庭」の言葉に恐怖、高知東生さんが語る両親 卒アルの夢に泣いた

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大坪実佳子
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 子ども時代、家庭が安心できる居場所だったことは一度もない。こども家庭庁がこども庁に変更された時、とてもうれしかった――。

 こども政策の司令塔として2023年度につくる新しい省庁の名称を、政府が「こども庁」から再び「こども家庭庁」に変更することを受けて、俳優の高知東生(たかちのぼる)さん(57)が14日、ツイッターでこうつぶやきました。つぶやきはこう続きます。

 「家庭に居場所がなくても社会に居場所を作って欲しいと願った。家庭に恵まれなくても社会に恵まれて欲しい。『家庭に恵まれなかったのは君のせいじゃない』とこどもに伝えて欲しい」

 ツイートには3日で4万件を超える「いいね」がつき、「強く賛同します」「涙があふれました」などと共感が広がっています。

 任俠(にんきょう)の男性の愛人の子として生まれ、母は17歳の時に自殺。物心ついたとき家に両親はおらず、主に祖母に育てられた高知さんは「いつも孤独だった。自分は愛される資格がないと思っていた」と幼少期を振り返ります。「家庭」という言葉に胸が締め付けられるという高知さんに、生い立ちやツイートに込めた思いを聞きました。

小5で知った実の母

 ――名称をめぐって、「こども家庭庁」→「こども庁」→「こども家庭庁」と、議論が二転三転しています。

 俺は「家庭」という言葉に敏感で、コンプレックスやトラウマが噴き出し、恐怖を感じてしまう。マイノリティーかもしれないけど、そういう人もいるんだよ。その声を聞いてくれるのが大人であり、社会であってほしい。

 虐待サバイバーの方が勇気をもって、3月に開かれた議員の勉強会で「家庭が地獄だった」と話したことで、名称が「こども庁」になった時、心の叫びを聞いてくれたんだと思った。ところが一転してまた「こども家庭庁」になる方針と聞いて、彼女の勇気と努力は届いていなかったのか、一体何だったんだろうと悲しくなりました。

 「家庭の中の子ども」ではなくて、子どもを個として尊重し認めてほしい。

 「こども家庭庁」から「家庭」を抜いても、幸せな家庭が減ったり、これまでの家族制度が崩壊したりはしない。「家庭」の言葉がなくて、何の問題があるでしょうか。

 ――昨年、生い立ちから逮捕、社会復帰に向けた道のりを記した自叙伝を出版しました。

 物心ついた時から、祖母と一緒に叔父の家で暮らしていました。祖母からは「赤ちゃんの時に段ボールに入れられて川を流れていたのを拾った」と聞かされていた。

 同世代のいとこも一緒に住んでいましたが、自分だけケーキを分けてもらえなかったり、焼き肉に連れていってもらえなかったりした。

 学校では両親がいないことをからかわれ、お小遣いがもらえないから友達の誕生日会に行けなくていじめられた。学校で暴れてケンカをすると、先生を通じて叔父に伝わり、叔父からは「捨てるぞ」「出て行くか」と叱られた。

 どこにも居場所がないと感じていました。

 「本当の家族」を追い求めながらも、幼少期の記憶を封印した高知さんが、生い立ちに向き合うことになったきっかけは。卒業アルバムに書き残した言葉とともに、記事後半でご紹介します。

 ――母親との出会いは…

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