家族5人は畳1枚の上、家は数キロ流された 津波が2度襲った地の今

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佐々木洋輔 聞き手・平岡春人、角拓哉
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 北海道東部の太平洋に面した浜中町。湯沸(とうふつ)岬(通称・霧多布(きりたっぷ)岬)が大海原に突き出ている。小高い丘に立つと、町役場もある中心部の霧多布地区は南北西の三方を防潮堤に囲まれているのがわかる。高さ5・2メートル、総延長17キロ。まるで城壁のような造りは、過去に大津波が押し寄せた証しだ。

 1952(昭和27)年3月4日午前10時22分、襟裳岬東方沖の海底でマグニチュード(M)8・2の巨大地震が起きた。道内で死者28人、行方不明者5人が出た「十勝沖地震」だ。浜中町は高さ3・5メートルの津波に襲われた。

 霧多布地区に住む坂本満さん(75)は当時6歳。自宅が大きく揺れて外に飛び出したが、立っていられず門の柱にしがみついた。近所の人が持っていた馬そりに乗せられ、高台の家で3日間を過ごした。

 「自宅に戻ると大きな流氷が玄関をふさぐ形で止まっていた。こんなものも運んでくるのかと。津波の力に驚いた」

 8年後の1960年5月24日、「チリ沖地震」で高さ4・3メートルの津波に見舞われた。忘れもしない。楽しみにしていた遠足の日だった。

 「津波が来るぞ、逃げろ」

 早朝、大人たちが叫ぶ声で起きた。外に出ると引き潮で海水がなくなっていた。何匹もの魚が浜で跳ね、それらを必死で取ろうとする住民もいた。まもなく海面が盛り上がり、海岸に迫ってきた。

 慌てて自分の家に入ったが、海水がどんどん入ってきた。「ガン、ガン」。外から硬いものがぶつかる音がした。流された近くの家屋だった。みるみるうちに水かさが増し2階もつかった。

 「もっと上に逃げるしかない…

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