外務省が22日に記録を公開した1990年のカンボジア和平東京会議は、第三国の和平協議を日本が主導した戦後初めてのケースだった。担当の南東アジア1課長として手探りで実現へこぎ着けた河野雅治・元ロシア大使に当時の話を聞いた。
――(1990年6月に開かれることになる東京会議に向けた考え方を、4月に池田維・タイ公使に伝えた公電を見せ)これは河野さんが書かれたものですね。
「懐かしいね。これ、僕の字ですね」
――ものすごく推敲(すいこう)してありますが、よくあることなんですか。
「課長自身の考え方を伝える責任があり、それは自分しか書けないから、自分で良く推敲して文章にしました。4月にチャチャイ(タイ首相)が日本に来て、東京会議をやろうとなり、準備をするところだったので気合が入っていた。歴史上初めてだから頑張ろうと」
――チャチャイ首相が「日本でやったらいいんじゃないか」と……
「言ってもらったんです」
「日本でやったらいいと言わせた」
――この公電にもその経緯が書いてあります。
「日本は戦後初なものだから…
【7/11〆切】スタンダードコース(月額1,980円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら