栄光のストライカー人生、唯一の取りこぼしは高校時代に

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構成・金子智彦
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 12月28日に開幕する全国高校サッカー選手権は、今回で100回の節目を迎える。1968年メキシコ五輪得点王の釜本邦茂さん(77)も、京都・山城高で3年連続出場を果たした。しかし、日本サッカー界不世出のストライカーにとって、全国選手権はほろ苦いものだった。3年間の思い出を語ってもらった。

 高校では、京都紫光クラブ(京都サンガの前身)の選手だった森貞男コーチに「お前は点を決めればいいんや」と言われ、しょっちゅうボールを蹴っていた。そう言われるのはストライカー冥利に尽きる。ゴールへのこだわりは高校のときに強まった。

 グラウンドは野球部などと共用だった。強烈なスラッガーが1人いてね。サッカー部の下級生がグラブをはめて横一線に並んで、「危な~い」って言いながら打球を止めた。革のボールが6、7球しかなくて、私も家で前掛けをして糸で縫い合わせた。今じゃ考えられないが、世界遺産仁和寺の廊下で腹筋をやったり、龍安寺から山の頂上まで走らされたりしたね。

 高校サッカーといえば「冬の国立」が代名詞になった(第93~99回は東京五輪に向けた建て替えのため、東京・国立競技場ではなく埼玉スタジアムで決勝などを開催)が、我々の頃は兵庫県の西宮球技場が会場だった。

 選手権は3年連続で出場し…

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