不登校の私が出会ったもう一つの世界 TVのレギュラーつかむまで
福井県鯖江市内。自宅2階の窓からは、通っている中学校の校舎が見えた。
授業の始まりや終わりを刻むチャイム、放課後の吹奏楽部の演奏……。いやが応でも耳に届く学校の「音」が、つらかった。
今の時間、同級生は学校に通っている――。わき上がってくるのは罪悪感。部屋のカーテンを閉め切り、ベッドに潜って布団をかぶった。
「人生終わっちゃったのかな」
「人生終わっちゃったのかな」
現在県内でタレント活動する大川晴菜(20)は、当時はそう思い、布団の中で、一人で泣いた。
中学2年の夏休みが明けてから、不登校になっていた。7年前の話だ。
小学校の終わりごろから家庭内の不和があり、家でもストレスを感じていたところに、中学での環境の変化が重なった。それが原因だったと思う。
とはいえ、夏休み前までは、美術部の部長を務めたり、生徒会活動に取り組んだりする積極性はあった。けれど、「歌ったり、絵を描いたり興味があることはできたけど、それ以外は全然だめだった」。
学校から出された課題を期限内にこなせなくなり、1コマごとに担当教員が変わる授業に頭を切り替えられなくなった。
人気のアイドルやダンスグループの話題にも興味を持てず、クラス内でも「浮いていた」。同級生にも敬語で話すようになり、授業の合間、誰にも気づかれないよう、何度も隠れて泣いた。
少しずつ少しずつ、自信を失っていった。
元々は高校、大学と進学して就職するものだと思っていた。
「公務員になるものだと思っていたんですよ。高校もけっこう偏差値高めのところにいかなきゃいけないって思ってて」
初めは親も車で学校に連れて行こうとしたが、苦痛で続かなかった。
学校の音が聞こえる昼に寝て、日が暮れる頃に目が覚める。昼夜逆転の生活が当たり前になった。
でも、皆が寝静まった深夜、笑顔になれる出会いがあった。
中学3年になる頃、母親が
記事後半では、大川さんが自信を取り戻し、メディア出演に至った経緯を語ります。時間を忘れるほど没頭したこととは何だったのでしょうか。
中学3年になる頃、母親が「…