第1回ソ連は「進撃の巨人」の壁内 声優ジェーニャさんが見た崩壊「前夜」

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聞き手・関根和弘
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 ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が崩壊して12月25日で、ちょうど30年。今や日本には「ソ連」の名前を知らない若い世代も育ちつつある。ソ連とはなんだったのか。そこで、どんな人たちが、どんなふうに生きていたのか。子ども時代をソ連で過ごし、崩壊直後に入ってきたアニメ「セーラームーン」がきっかけになって日本に暮らすジェーニャさん(40)にインタビューした。

ジェーニャ

1981年、ソ連(当時)・ノボシビルスク生まれ。声優・歌手。本名はエフゲニヤ・ダビデュク。アニメ「美少女戦士セーラームーン」を見て声優を目指す。2005年に日本へ。秋葉原でアルバイトなどをしながら、声優を目指す。主な出演作品に「ガールズ&パンツァー」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」など。NHKのロシア語講座の番組にも出演。作品のロシア語指導などもしている。

朝日新聞社が運営するバーティカルメディア「GLOBE+」では、ジェーニャさんの個人写真でソ連を振り返る記事「ソ連は娯楽少なく…声優ジェーニャ『アニメは二つ。チェブラーシカとヌー・パガジー』」(https://globe.asahi.com/article/14510121別ウインドウで開きます)を掲載しています。

 ――ソ連とは、ジェーニャさんにとってどんな国でしたか。

 「私にとって、ソ連は漫画『進撃の巨人』のような世界でした。壁で囲まれた中で生まれた主人公たちが外の世界を全く知らないまま暮らしているという、まさにそれです」

「バナナは黄色くなってから」誰も知らなかった

 「国が情報をコントロールし、人々に国外の様子を教えない。知らなければ自分たち以外の世界は存在しないとの同じだから、どんなに物や情報がなくてもそれが当たり前だと思う。だから、ある意味、幸せ。それがソ連のコンセプトの一つだったと思う。幼少期の私もそうでした」

 ――幸せでしたか?

 「ソ連時代のシベリアのノボシビルスクに生まれ、その後、モスクワから200キロ東のゴーリキー(現在のニジニ・ノブゴロド)などに住みました」

 「商店に行っても、陳列棚が空っぽの記憶しか残っていません。並んでいるのは、おいしくなさそうな缶詰だけ。バナナも、めったに目にすることはなかった。だから、緑のバナナは黄色く、甘くなってから食べるということも、誰も知りませんでした」

 「お父さんは軍人だったので、一番頼りになったのは軍から支給される物資。月1回、段ボールでコンビーフや練乳の缶詰などが与えられました。角砂糖があると、『よし、お菓子だ』と喜びました」

 「市役所からは、お店で商品を買うことができるクーポンみたいなものをもらっていました。あなたは月にバター200グラム、砂糖は1キロ、小麦粉1キロ買えますよっていう券です。それを持ってお店に並ぶの。真冬でも、親は子どもたちを連れて。結構しんどいです」

夜の紙芝居 せりふは自分たちで読んだ

 「衣類もなかったです。入荷したらサイズが合わなくても買いました。だって次いつ入荷するか分からないから。知り合いからお下がりでもらったり、ニットはお母さんが編んでくれたりしました。何歳の時だったか覚えていないけど、誕生日に両親がコートをプレゼントしてくれたの。でもデザインが気に入らなくて。『こんなの、着られない』と怒ってしまって。今思えば、色々と手を尽くして買ってくれただろうに、と申し訳なく思います」

記事後半では、ジェーニャさんが10歳で経験したソ連邦崩壊と、人生を変えた日本アニメとの出会いが語られます。来日後、貯金が1000円しかないこともあったというジェーニャさんを支えたものとは――。

 ――娯楽はどうだったんです…

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