正義に満ちた不寛容 パンデミックで見えた分断の先は 角田光代さん

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共に在るということ」 寄稿

 2020年の初春に起きたパンデミックで、この2年間、世界じゅうの人々が今までとは異なった日々を強いられることになった。マスクをする、手洗いをする、それくらいなら微々たる変化だが、旅行ができない、遊びにいけない、遠くに住む親族に会いにいけない、さらには、外食できない、会食できない、職場にいけない、外出もままならない、宅配便を直接受け取るのもためらう、というところまで追い詰められると、たいへんなことになっていると実感する。

かくた・みつよ 作家。1967年生まれ。「対岸の彼女」で直木賞。「紙の月」で柴田錬三郎賞。「源氏物語」の現代語訳で読売文学賞を受賞

 たいへんなことになっているのは、私も隣県のだれかも、あるいは世界のどこかのだれかもまったく同じなのだが、そのたいへんなことのなかの何がいちばんストレスになるかは、人によってさまざまに違う。旅行ができなくともまったくへっちゃらな人もいれば、会食ができなくて鬱憤(うっぷん)がたまる人もいる。リモートワークやオンライン授業の導入によって、こんなに家族といっしょにいられるのははじめてだと喜んでいる人もいれば、その家族と長時間一緒にいることが、たえがたいくらいストレスだという人もいる。

 そもそも新型コロナウイルスについての考えかたも人によって驚くほど違う。どこまでこのウイルスをこわがるか、どこまで感染予防を徹底させるかという考えも決定も実行も、それぞれの暮らしや体調や状況によって、個々に異なる。

 そして、緊急事態宣言が発令されたとはいえ、他国のように細かい法律的な決まりがあるわけではない私たちの国では、何をして何をしないかということを自分で考えて決めなければならない。しかも感染者が増えているさなかに、旅行にがんがんいこうというキャンペーンが政府によって行われたので、旅行や外食にかんする是非も、人によって大きく分かれることになった。

 そのキャンペーンが実施されているあいだ、自分自身の生活様式の変化よりも、この、他者との差異こそが、私たちのもっとも大きなストレスになるのではないかと私は考えていた。

 私がどこにもいかないのに、だれそれさんは出かけている。しかもお得に旅をしていて、おみやげまで配っている。どこにもいけないストレスより、それを見聞きするストレスのほうがやっかいだ。

コロナ禍で制限された旅と宴会は、角田さんにとっては「数少ない趣味」であり、「大げさに表現するなら生きがい」だったといいます。しかし、この先、日常が戻ってきたときに、以前のように旅をしたい、外食したいという気持ちが戻ってくるのでしょうか。角田さんは記事後段で、旅や宴会の文化は簡単には廃れないものの、「解釈や是非は個々人によって細分化していくのかもしれない」と指摘します。

 高齢者と暮らしているから私…

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