東京五輪の音楽監督、原点はディスコ サーフィンするように人生送る
「明確な目標をもって邁進(まいしん)してきたタイプじゃない。でも、人生の転機には、そのグルーブ、波みたいなものに乗っかる勇気があった」
成人年齢が2022年4月1日、20歳から18歳に引き下げられます。18歳のころ、どんな「オトナ」になろうとしていたか聞いてみました。
東京五輪、パラリンピックの音楽監督を務め、国内外で活躍する京都市出身のDJ、田中知之さん(55)はこう振り返る。感性のベースができたという18歳の頃、将来の職業となるDJに出会った。
「音楽好きなら田中くんもやってみたらいいのに」
京都市内にあったディスコ「マハラジャ」でアルバイトをしていた高校3年生の時。20代の先輩DJから、そう声をかけられた。
早々に推薦で京都の大学に進学を決め、高校の軽音楽部の部室に入り浸り、夜はバイト。音楽漬けの毎日を送っていた。ディスコでのバイトも「音楽を感じながら働きたかったから」と始めたところだった。
正座で向き合ったターンテーブル
皿洗いをしながら、フロアに流れる音楽を聴いた。ターンテーブルを回すDJを見たのは初めてだった。「ヘッドホンを耳に当てて、何を聴いているんだろう」。興味はあったが、当時のDJは職人気質。ブースに近づくことも、ターンテーブルに触ることもできなかった。
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それでも先輩の言葉を真に受…