五輪出場への熱意はアスリートだけのものではない。競技用の道具を手がける人たちも共有している。国内でも、ボブスレーの開発者は2月の北京五輪で使われるか否か、最終局面を迎えた。今冬の採用は見送られたスケルトンの製作者は、その次の五輪を見据えて改良に余念がない。日本の技術力を世界に示す好機と捉え、「いつか、そりも選手もオールジャパンで」と話す。
東京都大田区の町工場などによるプロジェクト「下町ボブスレー」は活動10年目を迎え、五輪挑戦は北京大会で3度目だ。今季はイタリア代表に1台を提供し、元日本代表コーチのドイツ人技師を介して調整中だ。新たな操舵(そうだ)装置の高さを低くしたことで、そりの車高も下げられるようにした。昨年末のテスト滑走と年明けの国際大会で、五輪本番での採否が決まる。金属加工会社長でプロジェクト委員長の黒坂浩太郎さんは「成果を残していないのに、やめるわけにはいかない」と意気込む。
委員長就任前の2018年平昌大会前、プロジェクトは「まさに炎上状態。どん底だった」。そりの提供先の外国チームといざこざがあり、人は離れた。ただ、仲間から「黒ちゃんしかあとを続けられないよ。一緒にやろう」と言われ、踏みとどまった。
町工場はお互い、取引先の企業秘密を抱える。でもボブスレーを介せば、垣根なく物作りを語り合える。ある日、仲間から黒坂さんの会社に電話があった。「このプログラムを試してみて」。自社工場の機械に入れて驚いた。「うちのやつ、こんな動きもできるのか」。プロジェクトに参加する社は全盛期の4分の1、約25社に減ったが、人の縁は残った。髪より細い誤差しか許されない部品の製造では「測定器、貸して」とかつての仲間の元へ駆け込む。
参加する技術者たちは、本業…