高校サッカーの聖地は国立?埼スタ? 発祥は西…、他競技と合同開催

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金子智彦
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高校サッカー100回 関西の記憶(上)

 大阪の阪急豊中駅から西へ徒歩6分。住宅街の一角に“高校サッカー発祥の地”があることを知るファンはどれほどいるだろう。

 豊中グラウンド跡地――。1918年、ここで開催された「日本フートボール優勝大会」が、この年末に開催100回のメモリアルを迎える全国高校選手権へと発展した。門柱や赤れんが塀を再現した公園になっているが、原点を感じさせるものはほぼない。

 東西約150メートル、南北約140メートル、約2万平方メートルの豊中グラウンドは芝生の観覧席、木造のスタンドを備え、当時東洋一とうたわれた。関西のラグビー関係者が大阪毎日新聞社にラ式(ラグビー)のフットボール大会の企画を持ち込んだが、参加数が少なかったため、ア式(アソシエーション)と呼ばれていたサッカーを加えた合同大会として産声を上げた。

 大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)が創立され、ア式蹴球全国優勝競技会(後の天皇杯全日本選手権)が初開催されたのは21年。高校選手権の方が歴史は深いことになる。

兵庫勢が頂点に君臨

 ア式の部には8チームが参加し、御影師範(現・神戸大)が優勝した。当時主流の戦術は大型のDF2人が大きく蹴り出し、左右のウィングのセンタリングになだれ込む「キック・アンド・ラッシュ」。中等学校生より学年が二つ上の師範学校生が、体格とスタミナに物を言わせた。

 しかし、25年の第8回大会で御影師範を破る学校が現れた。同じ兵庫の神戸一中(現・神戸高)がショートパス戦術で壁を越えた。

 ビルマ(現・ミャンマー)からの留学生で、全国を巡回指導していたチョー・ディンに教えを求めた。選手らは、ディンが休日に宝塚歌劇を見物に訪れた機会をとらえて頼み込んだ。

 たった半日の手ほどきだったが、インステップキック、インサイドキック、スルーパスなどの基礎を学んだのだ。以来、ショートパスをまねるチームが増えていく。

 柔よく剛を制す――。神戸一中出身で、世界最高齢のサッカージャーナリスト賀川浩(96)は、「歴史ある高校選手権が、技術と組織力で挑む小兵サッカーの戦術の原点になった。もう100年近く前のことだが、日本は今も同じようなことを目指している」と分析する。兵庫勢が頂点に君臨したのは、港町・神戸が横浜とともに、国内におけるサッカー発祥の地とされることと無縁ではない。

 居留地の外国人が対戦相手欲しさに日本人にサッカーを教えた。外国人クラブや寄港する船員から技術を学んだのが、御影師範であり神戸一中だった。

 ただ、その黄金期も戦後の学…

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