香取慎吾「東京大会振り返れている今が幸せ」 金メダリストと対面

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香取慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦したり、選手と対談したりする「慎吾とゆくパラロード」。今回は東京パラリンピック自転車競技で2冠に輝いた杉浦佳子選手(51)=楽天ソシオビジネス=と直接、対談しました。杉浦選手は日本勢最年長金メダリストです。年齢のとらえ方や、東京大会後の周囲の変化について、2人で語り合いました。

 東京パラリンピックの金メダル2個を手に現れた杉浦選手を前にし、香取さんは言った。

 すごいですね。一番ですもんね。(女子個人ロードタイムトライアルで)金メダルを取った直後の杉浦選手は、「今回はいける」と自信満々でレースに臨んだように見えた。

 杉浦選手は首を横に振った。東京パラの最初のレースとなった8月25日のトラックでは、日本新記録を出したが予選敗退。世界のレベルも上がっていた。

 へこんで眠れなかった。日頃から睡眠時間、食べたもの、気温、レースタイムを記録しています。食べたものは調子のいい時と同じか。マッサージの違いは、などコーチやトレーナーと一つ一つ確認しました。

名言の裏側は……

 香取さんは、うなずく。

 1人で戦っているんじゃないんですね。

 8月31日、ロード種目で金メダルを獲得。日本勢最年長の50歳での偉業に「最年少記録はつくれないけど、最年長記録はまた更新できる」と発言。香取さんは言った。

 名言ですよ。そんなにへこんでいたとは、みじんも感じさせなかった。杉浦選手のコメントを聞いて、元気をもらった人は多いと思う。

 杉浦選手は笑いながら明かした。

 あの発言を聞いたコーチに言われたんです。ポジティブ詐欺だと。「レース前、どれだけ、こっちは大変だったと思っているの」と。

香取慎吾さんと東京パラで自転車競技2冠の杉浦佳子選手による対談は12月30日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 杉浦選手は、どうしても香取さんに聞いてみたいことがあった。

 慎吾さんは、アイドルとして年を重ねることに焦りはなかったですか。スポーツ界では、若い選手のほうが長期的に活躍できるのでスポンサーがつきやすい。私にとって年齢はネガティブワードだったんです。

 香取さんはゆっくり語り出した。

 若い時は毎日必死で、焦るとか考える時間がなかった。でも、どっちかというと僕は年を早くとりたかったかも。今回ね、山本五十六という軍人の役を演じたんです。

 ドラマ「倫敦(ロンドン)ノ山本五十六」(30日NHK総合)では、国を背負い、組織の中で苦悩しながら軍縮交渉に臨む役に挑んだ。

 今の年齢の僕だからできる部分があった。やってみたい役の重さに、やっと年齢が追いついてきたなと。

 さらに続けた。

 今は20年前も20年後も考えられる位置にいてすごく楽しい。年をとった時の自分は、子どものように生きていたいと思いつつ、かっこいい人でありたいとも思っていた。それがちょうど今なのかな。20、30代の自分がみて、発言や身ぶりなど、かっこいいと思えるか。そういう人でありたいと思っている。年齢というよりも、大事なのは人間力だと思う。

 杉浦選手は聴き入った。

 響きます。私は、最年長金メダリストって言われた時に、目標になれたんだって思えました。

東京パラの後に感じた変化

 東京大会は1年の延期を経て開催された。香取さんはしみじみと言った。

 今こうして、大会のことを振り返れているのが幸せ。延期はこれまでに例のないことで、一時は、どうなるんだろうって思った。

 杉浦選手は大会後の周囲の変化をうれしそうに語り出した。

 障害のある方から、自転車に乗ってみたいと連絡がきたんです。福岡であった自転車のイベントには、東京から飛行機に乗って駆けつけてくれた人もいた。できれば、各地の特別支援学校を回って体験会を開きたいと思っています。

 香取さんは自分のことのように喜んだ。

 それはすごい。東京大会のレースを見て、自分も乗れるかもって思ったんですね。パラを知ってもらうことで、何かその先につながっていくんじゃないかと思って応援してきたけど、実際につながり出している。

 杉浦選手は感謝する。

 国際パラリンピック委員会(IPC)特別親善大使の慎吾さんが発信してくれたことでパラに興味を持ってくれる人が増えました。

 香取さんは言う。

 僕を知ってくれている人で、まだパラを知らない人に知ってもらって、ファンになってほしいと思っていた。そうだ、大会中にSNSを見ていてうれしくなったのを思い出した。日本中のみんながパラを見ていて、「すごい。メダルを取った」「かっこいい」といったコメントがあふれていた。期待していたことが実際に起きていた。

 ただ、と香取さんは残念がる。

 大会直前や期間中はパラの注目度が高まった。でも、今は落ち着いてきたように感じる。僕はあの時の熱量で、みなさんにパラについて伝えていきたいと思っている。

次のパラ、目指す?

 来年3月には、北京冬季パラがある。香取さんは言った。

 平昌冬季パラ(2018年)のアルペンスキーで五つのメダルを獲得した村岡桃佳選手は、東京パラの陸上に出て、今度の北京代表にも内定しました。杉浦選手は夏冬の二刀流はないですか?

 杉浦選手は答えた。

 不器用なので、さすがにないです。1競技にしぼったからできたこと。北京は応援する側として、念を送ろうと思っています。

 香取さんは身を乗り出した。

 僕は現地に応援に行きたいんです。誰かつれていってくれないかな(笑)

 次の夏の大会は2024年、パリだ。杉浦選手は言った。

 今、「目指す」と言ってしまうと逃げ場がなくなる。でも、自分としてはもう少し限界を見に行こうかなと。年齢にあらがいつつ、そこで自分がどう変われるか試したい。最近、60キロのバーベルを上げられるようになったんです。今までできなかったのに。

 香取さんは驚いた。

 進化し続けていますね。できなかったことに向き合うことで、「まだ、伸びしろあるんだ」って感じることもあるよね。東京大会は終わったけど、これからも応援する気持ちは変わらない。ずっと、ずっと。楽しみにしています。

 杉浦佳子(すぎうら・けいこ) 1970年、静岡県出身。2016年、自転車レース中に転倒し、記憶や言語といった脳の分野に障害を負い、右半身の一部にまひが残った。17年からパラ自転車競技を始め、東京パラリンピックでは女子個人ロードタイムトライアルと女子個人ロードレースで金メダルを獲得。運動機能障害C3クラス。