「雪国まいたけ」去った創業者 異国で再び追う息子との夢

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山下裕志
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「黒舞茸」が並ぶスーパーの売り場。セリ鍋の具材やスープと共に紹介されていた=2021年12月4日、埼玉県鶴ケ島市の「ヤオコー ワカバウォーク店」
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 小さな工場から出発し、一代で「雪国まいたけ」をキノコ大手に育て上げた創業者がいる。だが、ある騒動を機に会社を去った。それから数年――。創業者とその長男はいま、それぞれの場所で、かつてと同じ夢を見ている。

 寒さが一段と増した12月初旬、埼玉県鶴ケ島市のスーパー「ヤオコー ワカバウォーク店」。入り口のすぐそばに、つややかな黒いマイタケが鍋用の野菜やスープと並んでいた。その名も「黒舞茸(まいたけ)」だ。

 「香りが強く、食感が良い。食べておいしい、という言葉に尽きる」。ヤオコーの担当者は、仕入れの理由をこう話す。見た目の通り味は濃く、鍋物のほか、天ぷらや炊き込みごはんとも相性が良い。

 天然のマイタケは「幻のキノコ」ともいわれるほど希少で、それを見つけた幸運に舞い踊るほど喜んだことが名前の由来ともされる。そんなマイタケを人工的に栽培する技術を開発し、世にマイタケを広めた会社が、大手の雪国まいたけだ。

「信越キノコ戦争」、そして事件は起きた

 「黒舞茸」を手がける大平(おおだいら)きのこ研究所(埼玉飯能市)は、この雪国まいたけの創業家が再出発し、2015年に立ち上げた。当初は新潟県南魚沼市で生産し、高級マイタケとして百貨店などで販売した。今年6月、飯能市の新工場を稼働させて本社も移し、スーパーでの量販にも本格的に乗り出した。

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「黒舞茸」と大平きのこ研究所の大平洋一社長=2021年11月23日、埼玉県飯能市

 社長の大平洋一さん(47)は、雪国まいたけ創業者の長男として生まれた。東京農大を卒業後、人材派遣会社や知人と立ち上げたシステム関係の会社で働いた。30歳を前に、父親が社長だった雪国まいたけに入社。東京都内の営業所で、食品メーカーやコンビニをまわることから始めた。

 「社長の息子だからと出世するのは嫌だった」。そんな思いとは裏腹に、30代前半で係長からいきなり営業の副本部長に就任し、取締役へと駆け上がった。「取締役としては最年少で、部下は年上だった。飛び級もいいところだ」と苦笑いする。

 そのころマイタケ市場は、それまでブナシメジなどしか作っていなかったキノコ大手のホクトが00年代初頭に参入し、激しい販売競争を繰り広げていた。雪国まいたけが新潟、ホクトが長野に本社を置いたため「信越キノコ戦争」とも呼ばれる。洋一さんも、対抗して参入したシメジの改良失敗などで赤字だった会社を立て直そうと、価格戦略の見直しなどに取り組んだ。

 ところが、「事件」が起こる。

 13年、当時の取締役の告発…

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