敗戦直後、「男女平等」から始まった紅白 対抗形式は「再考の時期」

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聞き手・野城千穂
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 今年も大みそかの夜に放送されるNHK紅白歌合戦。昨今では男女で組分けすることに疑問の声も上がるが、そもそも番組が始まった当初、男女で分けたのはなぜだったのか。「紅白歌合戦と日本人」の著書がある社会学者の太田省一さん(61)に、戦後から続く紅白の歴史と、将来像を語ってもらった。

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2018年の紅白歌合戦。「勝手にシンドバッド」を歌うサザンオールスターズの桑田佳祐さん(右)と共演する松任谷由実さん=東京・渋谷のNHKホール、池田良撮影

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 終戦の1945(昭和20)年に紅白歌合戦の原型となるラジオ番組「紅白音楽試合」を企画したNHK音楽部の若手局員・近藤積さんは、後にエッセーのなかで、基本コンセプトである三つの「S」に触れています。

 Sex(性別)、Sports(スポーツ)、Speed(スピード)。これらが紅白のベースにあります。

 GHQ(連合国軍総司令部)の占領下、軍国主義から民主主義の世にしていく方針の一つとして、男性も女性も平等に政治に参加できるようにする流れがあるなか、時代の空気として「男女平等」がありました。

 近藤さんの考えでは、スポーツの分野では男女で体力の差があるが、芸術の分野、特に歌であれば基本的にハンディキャップはないはずで、純粋な意味での男女対抗が実現できる。民主主義的な男女平等の考え方を音楽番組という形で表現したのがそもそもの始まりです。

 エッセーでは「男性と女性、これは絶対的なもので、紅白ふたつのグループが男女に組分けされるということは、番組構成上最大の武器となっている」と書いています。

本気で「合戦」に勝とうとしていた

 特別番組として企画された「紅白音楽試合」は45年だけで終わり、51年に第1回紅白歌合戦が放送されました。第3回までは正月のラジオ番組として放送され、53年の第4回からは大みそかになり、テレビでも放送が始まります。

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1952年1月3日の第2回紅白歌合戦で司会をする(左から)藤倉修一と丹下キヨ子。椅子に座っているのは出番を待つ紅組の出場者たち=NHK第1スタジオで

 番組である以上は娯楽性を盛り込まないといけない。そのための要素が「スポーツ」や「スピード」感です。

 運動会やスポーツの盛り上がりに近づけるため、かつては紅白でも歌手の入場行進があり、前年に勝った組からの優勝旗返還のような儀式もありました。選手宣誓もあった。決まり文句は「スポーツマン精神にのっとり」ではなく「アーティスト精神にのっとり」。実況アナウンサーもいて、「今、○○さんから優勝旗が返還されました」というようなナレーションを入れていました。

 競い合うところから生まれるエネルギーが視聴者にも伝われば、というのが元々の発想だったと思われます。途中で応援合戦を入れたり、トップバッターや最後のトリを誰にするか順番を考えたり、曲調の緩急を考えたりと、演出や構成にあたってはスピード感も重視されました。

 80年代に入るころまでは確実に、みんな本気で「合戦」に勝とうとしていました。たとえば白組司会が「紅組がそのかたなら、白組からはこのかたを出しますよ!」などと対決を意識したコメントとともに歌手を紹介するのが当たり前でした。

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1986年の紅白歌合戦で歌う田原俊彦さん

 当時の熱気が分かるエピソードがあります。

 79年の紅組司会の水前寺清子さんは、事前のリハーサルから色々な準備をして紅組を盛り上げようとしました。カメラマンを自前で確保して紅組の歌手のかたの記念写真を撮ったり、お弁当を差し入れたり。その気持ちが歌手たちに伝わったのか、結局紅組が優勝して、その瞬間に紅組の歌手たちが水前寺さんに駆け寄ってステージ上で胴上げをしたのです。

 これは台本になかったことで、ハプニングでした。それくらい本気でしたし、スタッフも含めて真剣に男女対抗形式を盛り上げていたひとつの証しだと思います。

象徴的だった92年の紅組トリ

 それがどこかウソっぽくなってきたのは、個人的な見解ですが、80年代後半、歌謡曲のジャンルが衰退してきたあたりからだと思います。

記事の後半では、90年代以降の紅白の変化、そして男女対抗形式の今後と、紅白がこれからどこへ向かうのかについて考えます。

 80年代の終わりから、「ザ・ベストテン」(TBS系)、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)、「歌のトップテン」(日本テレビ系)といったゴールデンタイムの民放の人気歌番組が相次いで終了しています。

 歌謡曲というのは60年代ごろからずっとテレビの歌番組と一心同体で、ヒット曲はテレビから生まれるものでした。テレビの歌番組で新曲が歌われ、それを聴いた視聴者がレコード屋さんに走ってレコードを買う。一家に1台、お茶の間にテレビがあって、2、3世代が一緒にテレビを見るなかで、世代を超えて同じ曲を聴いていました。

 それが明らかに崩れたのが80年代後半です。歌謡曲とテレビが組み合わさることで生まれていた歌番組の熱気がどんどん無くなっていった。紅白でも歌謡曲以外のジャンルの歌手が選ばれて出場することが増えてきました。

 象徴的だったのは、92年の紅組のトリです。由紀さおりさんが童謡「赤とんぼ」を歌ったのです。もちろん童謡ブームもありましたが、童謡を歌ってトリを飾るということはそれまで無かったこと。歌の多様化が始まったのです。

 視聴率もそのころから落ちていきます。80年代前半までは70%台、時には80%台という今では考えられない視聴率を記録しますが、80年代後半には60%を割り、今の40%前後という数字に至ります。

 歌謡曲のジャンルが崩れた90年代になると、そこにJポップが入ってきます。90年代前半からは安室奈美恵など小室ファミリーのブーム、そして90年代半ばからはSMAPが支えました。2000年代に入って「世界に一つだけの花」で、紅白で初めてグループとして大トリで歌いました。歌手は基本ソロで、特にトリにはグループを起用しないという暗黙のルールが、紅白にはずっとありました。その「タブー」を破ったのがSMAPでした。

 SMAPや嵐など、曲だけでなくバラエティー番組などで存在を国民的に知られている人たちが紅白を支える時代になったのが、歌謡曲が衰退した90年代から、最近の2010年代までの流れだと思います。

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紅白歌合戦で歌唱する氷川きよしさん=2019年、東京・渋谷のNHKホール、林敏行撮影

男女対抗形式が必要なのか

 今は誰もが知っているようなヒット曲がなかなか出てこない時代です。傾向としては、歌だけでヒットすることはあまりなく、「アナと雪の女王」や「鬼滅の刃」などのように、メガヒットしたコンテンツの主題歌というような、特別な付加価値が必要になっている状況です。

 音楽自体が多様化しています。80年代前半ごろまでは、テレビの歌番組さえ見ていればある程度の流行はつかめましたが、今はテレビしか見ない人も、また逆にテレビを見ないでネットばかりという人も、その年に社会全体で流行した音楽を知ることは難しい。

 多様性と一体感を両立させるのは難しいミッションです。多様性というのは、それぞれの音楽や歌手の好みの違いを認めるということですから。

 しかし今後、多様性に配慮することは大前提になるでしょう。それは、音楽だけでなく、社会も多様性の時代になっているからです。多様な価値観を前提に世の中の仕組み作りをしなければいけないという方向に社会全体が向かい始めています。そのなかで、紅白も考えなければいけない。日常に密着したものであるテレビが、社会を無視して成り立つことはあり得ません。

 そうした社会の流れのなかで、男女対抗形式がどこまで必要なのか考えるタイミングに来ていると思います。

 「世の中には男と女がいて、みんなどちらかに属するはずだから、紅組と白組のどちらかを応援するでしょう?」というのが昔の性別観、セクシュアリティー観でした。もちろんずっと、性的少数者とされる方々はいたのですが、テレビという場でそうした人たちへの配慮が足りない部分があったとしても、大きな問題にはならなかった時代でした。

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2019年の紅白歌合戦で、紅組のトリを務めたMISIAさん。性の多様性の象徴であるレインボーフラッグが掲げられた=東京・渋谷のNHKホール、林敏行撮影

 最初にお話ししたように、男女対抗形式がかつては番組の一体感につながっていた部分もあると思います。今までの形式自体が一概に悪かったとは僕は思いません。ただ、それが今の時代に合っているか疑問に思い始める人が増えているのは恐らく確かで、再考する時期に来ていると思います。

 男女に代わって東西で分ける案もあるかもしれませんが、中途半端だと思います。「東」と「西」と一口に言っても、そのなかでの地域性はさまざまでしょうし、それに、男女対抗が戦後間もない時期に「男女平等に戦うのだ」という大義名分を持っていたのに対し、東西では大義名分がありません。

音楽が多様化しても変わらぬもの

 では、多様性に配慮しながら…

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