(魂の中小企業)段ボールの可能性は無限だ! 震災きっかけに気づく
宅配の荷物、引っ越し。段ボール箱は欠かせません。けれど、その箱のほとんどは、用が済むと捨てられてしまいます。
世の中の物流を支えています。段ボール会社で働くみなさんの努力には感謝しかありません。ですが、段ボール会社の人たちの中には、捨てられることに、少しむなしさを感じる方がいらっしゃるようです。
ものづくりの町である大阪の東大阪市、「マツダ紙工業」という段ボールづくりの会社があります。1958年創業で、社員は25人ほど。
ここの2代目、松田和人さん(58)も、かつては、そんなむなしさを感じていました。
ですが、いまは違います。
タンス、机、玩具……。さまざまな段ボール製品を開発し、つくっています。捨てられることなく、消費者に使われています。
「段ボールの可能性は無限です」
そう語る松田さん。そこに至るまでのストーリーです。
◇
松田は次男なので、家業は関係ないと思っていた。付属高校から私大の経営学科に進む。単位をチャッチャと取り、飲食店などでバイトざんまい。自分は何をしたいのかを見つけるためだったが、見つからなかった。
経済の勉強になるだろうと思い、中堅の証券会社に入った。同期の入社は150人ほどいた。新入社員の配属先が発表される。あいつは梅田支店、あいつは難波支店……。関西の都会の支店に配属されていく。
松田はというと……、ある大阪の地方都市の営業所だった。同期のヤツが笑った。
「おまえ、入社早々、左遷やな」
松田は燃えた。負けへんぞ!
営業所は、商店街の一角にあった。そのころの証券会社は、とにかく飛び込み営業、の時代だった。同期たちが1日100件飛び込んでいる、などと聞くと、松田は燃えた。
〈だったら、俺は最低150件や〉
松田が回ったのは個人宅。立派な家だと思ったら飛び込んだ。門前払いを食らう。別の家へ。そこもダメ……。その連続だった。門前払いされても、何度も何度も行った。
2~3週間たった。各地にちらばった新入社員たちの成績が、社内で公開された。営業所の上司に呼ばれた。
「松田くん、見てみい。みんなすごいやないか。キミは一件もないなあ」
〈くそー、負けへんぞ〉
はじめてのお客さんができた…