米軍の核「緊急時の持ち込み」言及 沖縄返還交渉支えた首相ブレーン

編集委員・藤田直央
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 1972年の沖縄返還交渉で佐藤栄作首相を支えたブレーンたちによる議論の資料が近年、次々と見つかっている。日米首脳会談での返還合意時に密約という形になった「沖縄への緊急時の核持ち込み」を、ブレーンたちが視野に入れていたことがわかってきた。

 佐藤首相は対米交渉を主に外務省に担わせる一方、若泉敬・京都産業大教授を密使とし、69年11月の首脳会談で72年の沖縄返還に合意する際に密約を結んだ。それに先立つ69年3月、若泉氏ら佐藤首相のブレーン14人からなる「沖縄基地問題研究会(基地研)」が交渉方針を提言していた。

 提言は公表され、72年までの沖縄返還、米軍基地核兵器撤去、本土同様の日米安保条約の適用を強調。2日後に佐藤首相は提言に沿い「核抜き・本土並み」の交渉方針を国会で表明した。ただ、基地研の提言に至る約1年間、20回にわたる議論は非公開だった。

 近年にブレーンらの私蔵文書から議事録が見つかったが数回分が欠け、発言者はアルファベットに置き換えて伏せられており、沖縄返還交渉に詳しい河野康子・法政大名誉教授らが研究を進めていた。外務省が9月に閲覧可にした関連文書を朝日新聞が調べたところ新史料が見つかって発言者の特定も進み、議論の過程がより鮮明になった。

 これらの文書によると、68年2月からの基地研の議論は、米軍の核兵器について、射程の長距離化などから中国に近い沖縄への配備は不要という方向へ傾いた。だが、首相密使として米政府の意向を探っていた若泉氏(議事録の「O」)や、座長で軍事評論家の久住忠男氏(同「F」)は緊急時の持ち込みはありうると発言。言及は10月以降、複数回にわたっていた。

 安保条約による事前協議で「沖縄への緊急時の核持ち込み」容認もありうるという趣旨だが、提言にこの点は記されなかった。基地研は佐藤首相が国民に返還交渉方針をどう説明するかについて議論を始めたが、公表した提言で結局、首相が唱えていた非核三原則と矛盾する点に触れないという構図は、後の密約の原型とも言えるものだった。

 沖縄返還交渉に詳しい中島琢磨・九州大准教授は、「今もはっきりしない佐藤首相とブレーンたちの関係を考える上で、一連の基地研関連の文書は貴重だ。米国が核撤去に応じるかどうかが沖縄返還交渉の最大の難関だったが、ブレーンたちが可能性を真剣に探る中で、後の首脳会談で密約となる『緊急時の核持ち込み』という条件の輪郭が浮かび上がってきた様子がよくわかる」と話している。(編集委員・藤田直央