小平奈緒の祝賀会で「母」は2度泣いた 飾らないメダリストの優しさ
3度の五輪出場で金銀3個のメダルを獲得。そして、北京では連覇のかかる500メートルを含め2種目に挑む小平奈緒(35)。世界のスピードスケート界を牽引(けんいん)するその強さと成長を、間近で見てきた金メダリストが海外に2人いる。
「今回もうまく滑れているから、慌てないでいこう」。2021年冬、ワールドカップ(W杯)で転戦中の小平にSNSでメッセージを送ったのが、そのうちの1人、韓国の李相花(イサンファ)だ。
4年前の平昌五輪(韓国)で日韓両国を感動させた2人の友情は、今も変わらず続いていた。五輪で2個の金メダルを獲得し、銀だった平昌大会後に引退した李。思いを伝えることで、「少しでもナオの力になりたい」という。
2人の交流のスタートは10年以上前にさかのぼる。中学生の頃から親善試合で日韓を行き来していた李に対し、最初に声をかけたのは小平だった。
「ナオは、私と会話をするために韓国語を真剣に勉強した。私にも日本語を勉強するようにと、日本の本を渡してくれた」
それだけではない。李が大のディズニー好きだと知ると、長野で試合があるたび、小平は人気キャラクター「スティッチ」の人形やマグカップをプレゼントした。うれしくて、遠征の時はいつもその人形を持参したと李は振り返る。
そんな友情を長く育んできたからこそ、4年前の世間の反響が、むしろ不思議だったと明かす。
2人だけが知る舞台裏
500メートルで五輪新記録をたたき出した小平は、客席に向かって控えめに右手を振り、そのまま人さし指を口にあてた。自分の後で滑るライバルを思い、「静かに」と訴えた。そして、五輪3連覇を逃して泣き崩れた李の後ろから近づき、そっと肩を抱き寄せた。
「美しい光景」「本当の友情だ」。各国のメディアに何度も取り上げられた。
しかし、李は言う。「メディアが映していなかっただけで、私がバンクーバーやソチで金メダルをとった時も、ナオは私のところに来て握手をし、抱きしめてくれた」
人さし指のジェスチャーもそうだ。自分が首位に立っても後の選手のことを思い、いつもそうしていたという。歓声がひときわ大きい小平の故郷、長野での大会の時も同じだった。平昌での出来事は特別な光景ではない。「それが、ナオ。本当にしっかりしていると思う」
自身の引退後も現役を続け、小平は北京大会に臨む。そんな親友をそばで見てきて、飛躍を遂げたと感じた時期があったという。「そこでナオはたくさんのアドバイスを聞き、実行し、アップグレードした」
小平が教えを請うたのは
小平を知る、もう1人の金メダリストに話を聞いた。
小平が2大会連続のメダルを逃した14年のソチ五輪(ロシア)で、スピードスケート全36メダルのうち、23個を獲得したのがオランダ。その「王国」で技を磨こうと、ソチ大会後、小平は単身海を渡った。
修行先に選んだのは「コンティニュ」というプロチーム。一番の理由は、そこにマリアンヌ・ティメルがいたから。長野五輪で女子1000メートルと1500メートルを制した。
ティメルは小平の第一印象を思い返し、「すばらしい技術を持っていた」と語った後、こう付け加えた。「しかし、重要な局面で『キラー』(殺し屋)ではなかった」
06年のトリノ五輪(イタリア)。ティメルはフライングで失格となった500メートルのショックを断ち切り、1000メートルで優勝してみせた。小平が教えを請うたのは、ここ一番で殺気を帯びるほどのティメルの集中力だ。
あの時メンタルをどうやって高めたのか? 技術は? (試合へ向かう)態度は? 勝ち方は?……。「私はナオから何度も質問され、話し合った。ナオは学ぶことに貪欲(どんよく)だった」
小平は常にメモ帳を携え、分からない言葉を書き留めたという。吸収も早く、2年間の留学後には、オランダのテレビインタビューに応じられるほど上達した。
「例えば」とティメルは言った。
練習ですばらしい滑りをした小平に「今の滑りを(忘れないように)ハードディスクに保存しなきゃだめよ」と言うと、間髪入れず、こう切り返された。「いま(頭の中で)ダウンロードしているところよ」
ティメルは小平に、こうも伝えた。「怒れる猫になりなさい」
獲物を狙う時、猫は殺気立って背中を丸め、熱を帯び、集中力を研ぎ澄ます。「ユーモアのあるナオだから」と、英語のangry(怒り)とhungry(飢え)という言葉遊びを交えつつ、「彼女にとって大事なポイントを映像化させたかった」。オランダ時代、小平には「BOZE KAT(怒れる猫)」というニックネームがついた。集中する術を体得した猫は金メダルをつかみ取り、先月には、清水宏保に並ぶW杯34勝の日本選手最多記録を樹立した。
ティメルは今、小平の成長をこう表現する。「天使の猫が虎になった」
小平奈緒 素顔の力
小平に別の力を感じる人たち…