炭鉱の街が生んだまんじゅう 1日3千個の人気 北茨城

伊藤良渓
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 人口4万人のまちで、1日3千個売れるまんじゅうがあるという。単純計算で市民の8%が毎日、口にしていることになるから驚きだ。その名は磯原まんじゅう。茨城県北茨城市の老舗菓子店「やまみつ屋」を訪ねた。

 店に入ると、甘い匂いが漂う。厨房(ちゅうぼう)奥の蒸し器からはもくもくと白い湯気。カウンターの内側にお邪魔すると、絶え間ないお客さんの注文に応えて、店員さんが手際よくまんじゅうを包んでいる。「10個ちょうだい」「まんじゅう、10個入りを三つ」。え。みなさん、そんなに買うんですか。

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 やまみつ屋がまんじゅう作りを始めたのは、1950年にさかのぼる。

 北茨城市は炭鉱のまちだった。中郷炭鉱をはじめ、市内の華川や関本などの地域で石炭が採掘された。常磐炭田と呼ばれたこの地域には、炭鉱労働者や多くの行商人らが行き交い、にぎわっていた。

 その雑踏の中に、創業者の山縣よし子さんはいた。娘の栄子さん(84)が聞いた当時の話はこうだ。

 40代だったよし子さんは、げたなどを売る店を営んでいた。だが火事で店は焼けてしまった。

 失意のよし子さんは、行商のおばあさんと出会う。炭鉱から石炭を運び出す貨車のレールがそこかしこに通っており、おばあさんはレール脇でまんじゅうを売っていた。「まんじゅうをやってみればいい」と言うこのおばあさんから作り方を教わった。

 店を開くことを決め、名字と夫の光雄さんの名前から「やまみつ」とした。小豆が手に入らない時は、あんこの代わりにサツマイモを使うこともあったという。

 「母の作業を見て覚えた『目加減』というのもあるし、手も覚えているんだよ」。栄子さんは身ぶり手ぶりで、まんじゅうの作り方を私に教えてくれた。重要なのは皮の柔らかさだ。生地を少しずつ切って伸ばし、皮を作るときの適当な硬さは手で学んだ。「ちょっと触ってみた感じで、まだかな、とかね」

 よし子さんのまんじゅうは、まちで評判になった。現在の社長で、孫の功さん(52)は「炭鉱労働者のおやつとして食べられていたのでは」と話す。

 土間を掘って炉を構え、まんじゅうを作り続けた苦労人の母を、栄子さんは回顧する。「浮き沈みはあったようだけど、『まんじゅうにつかまってやってきたんだ』と言っていましたね」

 よし子さんは1998年、93歳で亡くなった。

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 功さんの代になって2004年に法人化し、製造に機械も取り入れた。祖母から受け継いだ味も、更新を続ける。

 磯原まんじゅうを実際にいただいた。手のひらにぎりぎり収まるほどの大きさで、こしあんがたっぷりと詰まっている。口いっぱいにほおばると、ふんわりとした皮の柔らかさと、あんのずっしりとした食感、控えめな甘みが飽きのこない絶妙さだ。これで10個900円とは。

 彼岸が近づくと、開店前から1時間待ちの長蛇の列ができる。人気の理由はなんだろうか。功さんは「常連さんや多くのお客さんが、このまんじゅうを友達や知り合いに配ってくれているようなんです。人のつながりに支えられているのかな」と話してくれた。

 職場で配っていると茨城出身の同僚が言った。「これ、有名なおまんじゅうですよね。親戚がよく買ってきてくれるんです」。和やかな情景が浮かび、あははと笑った。同時にふーむとも思った。人のつながりが人気の秘密というのは、間違いではなさそうだ。(伊藤良渓)