松山ケンイチ、訪れた沖縄で出会った言葉 コザ騒動描いた舞台に臨む

[PR]

1970年の沖縄の青年に

 敗戦以降、米国の施政権下にあった沖縄が1972年に本土復帰してから今年で50年となる。復帰直前の70年12月20日にコザ市(現沖縄市)で起きた米軍関係車両に対する多くの地元住民による焼き打ち事件「コザ騒動」を描いた舞台「hana―1970、コザが燃えた日―」。約4年ぶりに舞台に臨み、沖縄の青年ハルオ役で主演する松山ケンイチに話を聞いた。

 長年沖縄とかかわり、現地で芝居づくりもしてきた演出家の栗山民也が、松山の故郷でもある青森で高校教師をしながらプロの劇作家としても活躍する畑澤聖悟に書き下ろしを依頼した。2人は、広島原爆で生死を分けた父娘を描いた井上ひさしの作品「父と暮せば」の続編として、長崎原爆下の母と息子を描いた舞台「母と暮せば」を作・演出したコンビだ。

 コザ騒動が起きた夜、市内のバーに集った血のつながらない家族と周囲の人々を通して、当時の空気を生々しく描く。おかあのユキコ(余貴美子)、ハルオ、アキオ(岡山天音)の3人は沖縄戦でそれぞれの家族を失い、戦後は「家族」として暮らしてきた。ハルオはかつて米軍出入りのAサインバーでバンドマンをしていたが、アシバー(ヤクザ)になったため、おかあから出入り禁止を言い渡されている。

 ――作品への最初の印象は。

 舞台は早くスケジュールが固まるので、最初に出演が決まったときはコザ騒動の話とはわからなかったんです。沖縄が舞台の話ということはあったけれど、コザ騒動の話やハルオという役は決まっていませんでした。だんだん脚本ができてきて、少しずつ届くのを読むうちに、「あれ、これって沖縄が舞台の話だけど、沖縄弁をしゃべらなくちゃいけないのかな」と気になってきて。そのうち言葉も標準語からウチナーグチ(沖縄弁)になり、初めて全貌(ぜんぼう)がみえたとき、これは大変なことだなと感じました。

「歴史は自分の足で歩かないと」

 ――コザ騒動についてご存じでしたか。

 コザ騒動のことは名前や史実…

この記事は有料会員記事です。残り3073文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【無料会員限定】スタンダードコース(月額1,980円)が3カ月間月額100円!詳しくはこちら