海外特派員といっても、外国語がもともと堪能な記者ばかりではありません。帰国子女でもなければ留学経験もなく、大学卒業以来、ほぼ英語に触れていない。記者(37)はそんな状況から、30代で英国の大学院をめざしました。もがき苦しみながら、留学に必要な英語民間試験のスコアをどうやって達成したのかを報告します。
特派員への漠とした憧れはあったが、入社後、長らく封印していた。異動希望に特派員と初めて記入したのは2016年。大阪社会部の警察担当として暴力団の分裂抗争を取材していた時期だ。32歳だった。
いまの時代、学生時代の留学経験などで英語ができるという記者は、ざらにいる。しかし、私の海外経験といえば大学時代、アジアや欧州をバックパックで旅した程度だ。短期の留学経験さえなく、英語は得意でもない自分がめざすのはハードルが高いと自覚していた。
そこでその年の春、会社の語学留学制度に初めて応募した。若干名を海外の大学などで1年間学ばせて、将来の特派員候補を養成するしくみだ。
夜な夜な警察官や暴力団関係者に接触する合間を縫い、取材用リュックにしのばせた英単語帳(大学受験で使ったZ会の速読シリーズ)をめくった。まずは大学受験のころの英語力を取り戻すのが目的だったが、当時は留学の見込みもなく、それほど熱心でもなかった。勉強の「そぶり」程度だったと思う。
2回目の応募をしたあとの翌17年6月、事件担当を終え、幅広いテーマを比較的自由に取材する遊軍担当に変わってから、上司に呼び出され、「来年夏からの英語留学が決まった」と告げられた。
会社の語学留学に決まった記者でしたが、その後に受けた英語民間試験のスコアにショックを受けます。記事後半では、半年間の猛勉強で、記者がどのようにスコアを伸ばしていったかを紹介します。
晴れて留学が決まり、最初に…