高校サッカーの名監督、小嶺忠敏さん死去 全国選手権で6度優勝

 長崎・国見高サッカー部を指導して全国の強豪に育てた小嶺忠敏(こみね・ただとし)さんが7日午前4時ごろ、長崎県内で死去した。76歳だった。首都圏で開催中の第100回全国高校サッカー選手権に出場した長崎総科大付高で監督を務めていたが、体調不良でベンチ入りができないまま、同校は3回戦で敗退。高校サッカーを中心に54年にわたり、指導現場に立ち続けた。

 長崎県出身。長崎・島原商高から大商大を経て、1968年に島原商高に赴任。77年度の全国高校総体で初優勝を果たす。

 84年に転勤した国見高では2007年まで監督、総監督を務め、教頭や校長として教育現場に立ちながら全国高校選手権で戦後最多タイとなる6度の優勝、全国高校総体でも5度の優勝を飾るなど、情熱的な指導で全国有数の強豪校に育て上げた。高木琢也、大久保嘉人ら多くの選手を日本代表にも送り出した。

 07年7月の参院選自民党公認候補で出馬して落選。17歳以下日本代表監督に就いたほか、長崎県サッカー協会会長や現在J2のV・ファーレン長崎で社長なども務めた。

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