第1回「フィギュア王国」のルーツ、極寒の旧満州に 連なるスケート人脈

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畑宗太郎
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 「氷が硬くて、スケートのエッジが立たない。キキっと音がして、ガラスの上を滑っているようだった」

 80年あまり前、冬は零下30度にもなる旧満州中国東北部)。「フィギュア王国・愛知」の礎を築いた小塚光彦さんは、屋外リンクしかなかった満州の記憶を2011年に亡くなる前、よくこう話していたという。長男の嗣彦さん(75)=名古屋市=が振り返る。

 かつて旧満州で育った日本の冬季スポーツの人脈は、戦後にも連なりました。フィギュアスケートでは、羽生結弦選手や浅田真央選手にもつながる「ルーツ」がありました。

 光彦さんは20歳前後で大陸に渡り、日本の関東軍が傀儡(かいらい)国家として1932年に建国した満州国を宣伝する「協和会」のカメラマンに。日本が満州国を足がかりに中国への侵略を進めていた時期で、37年には日中戦争が始まり、泥沼化していく。

「幻」の五輪 夢は子孫を超えて

 光彦さんはここでフィギュアと出会った。氷上でジャンプし、回転する姿に「すごいものだな」と思い自分も始めた。スケートを楽しんだのはほとんどが日本人。そのリンクを「苦力(クーリー)」と呼ばれる中国人労働者が手作業で整えていた。

 猛練習で旧満州の大会では上位に入るまでになった光彦さんは40年の札幌五輪を目指したが、戦争の激化で大会が中止となり、夢は幻となった。

 終戦後、地元・名古屋で酒屋を営む傍ら、仲間たちと愛知県スケート連盟を立ち上げ、選手育成に力を注いだ。そこには、のちに羽生結弦選手を育てる都築章一郎コーチ(84)や、伊藤みどりさんと浅田真央さんを育てた山田満知子コーチ(78)らがいた。

 都築さんは「当時、名古屋にプロのコーチはおらず、光彦さんはアマチュアとして子どもたちを熱心に指導した」と話す。光彦さんの薫陶を受けた都築さんは国交正常化後の80年代、幾度も中国に招かれて中国全土のコーチたちを指導し、レベルアップに貢献した。

 光彦さんの五輪の夢は子孫がかなえた。嗣彦さんは68年のグルノーブル五輪に出場。孫の崇彦さん(32)は2010年のバンクーバー五輪で8位入賞を果たした。

 亡くなる前、光彦さんが文芸春秋に寄せた手記にはこうある。「親子の夢が連綿とつながっていることに何よりの幸せを感じている」「私が満州時代に描いた夢は、いつしか子孫という枠を超えて実現されているのかもしれない」

スピードの五輪選手 内地に衝撃

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