第3回長野に中国スキー界の「原点」 初の五輪選手は「高校生以下」だった

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畑宗太郎、稲垣康介
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 「速度注意(スートゥーチューイー)!」。昨年11月、オーストリア。中国のスノーボード・ナショナルチームでヘッドコーチを務める石川敦士さん(44)は、大会前にジャンプ台を試す男子選手(17)に中国語で言った。すると、選手は笑顔で「だいじょうぶ!」と日本語で返した。

 速すぎても遅すぎても、ケガにつながりかねない。昨季までは石川さんが先に滑って見せていたが、今季は選手が率先するように。その背中を見て成長を感じていた。

 日本のトップ選手だった石川さんは、中国の大会でもたびたび上位入賞。現地のスキー場でコースデザインを担った縁もあり、2019年から五輪種目のスロープスタイルとビッグエアの若手選手育成を任されている。体操やカンフーなど別競技から選手が選ばれ、五輪を目指す国家プロジェクト。始動した4年前は40人いたが、昨年の海外遠征まで残ったのは5人だった。

 2月4日に開幕する北京五輪まで1カ月を切った。かつて旧満州で育った日本の冬季スポーツの人脈は戦後にも連なり、日中の架け橋となった。文化大革命や尖閣問題といった時の外交、社会情勢に翻弄されつつも、両国の選手や指導者たちが歩んできた交流の歴史をたどる。

10代中国選手のマインド

 夏は内陸・成都の合宿施設で、冬は北朝鮮にほど近い長白山で、10代の選手たちと寝食をともにする。当初は慣れない食事に苦労したが、今では「むしろ過ごしやすい」。選手と日本の漫画を見ることもある。

 選手は中国人コーチの叱る内容が不合理ならば、反論して話し合う。「マインドは日本の子たちと一緒。やりたいことも自分で見つけている」。目指すのは4年後の五輪だ。

    ◇

「付け焼き刃」の五輪選手 長野で指導

 選手やコーチが頻繁に行き来する交流の発端は、「中国スキー界の出発点」とも言われる長野県野沢温泉村にあった。

 1979年12月、アルペンとクロスカントリーの選手4人が中国からこの地にやってきた。2カ月後、中国が冬季五輪に初めて参加するレークプラシッド大会(米国)が迫っていた。

 「五輪選手に仕立て上げると…

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    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2022年1月10日11時34分 投稿

    【視点】 国際関係のきしみを超えて続くスポーツ交流は、日韓の間も同じです。  サッカーや野球では、プロチームに互いの国の選手や監督・コーチがいることは珍しくありません。いくつかの競技では、韓国の指導者が日本代表に、日本の指導者が韓国代表にかかわる

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