手元に残った寂聴さん未発表原稿 「いい戦争などはない」原点つづる

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岡田匠
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 瀬戸内寂聴さんが生前に発表しなかった、ひとつの原稿がある。2016年夏、朝日新聞の連載に寄せられた直筆エッセーだ。タイトルは『いい戦争などはない』。「非戦を通すことが、日本人の正しい生き方である」と結んでいる。昨年11月に99歳で亡くなるまで記者の手元に残されていた。最期まで書き続けた寂聴さんだが、秘書によると、未発表原稿はほかに見つかっていないという。(岡田匠)

 寂聴さんは15年6月から亡くなる1カ月前の昨年10月まで全76回、朝日新聞朝刊文化・文芸面に「寂聴 残された日々」を連載した。秘書によると、寂聴さんは10月にいったん退院し、第76回の原稿を書いた後、再び入院して息を引き取った。最終回となった第76回が人生最後の原稿になったという。

 未発表原稿は原稿用紙3枚。16年8月の連載第15回に向け、記者が「戦争について書いてほしい」と依頼した。「よろこんで書くわよ」と応じてくれ、ファクスで原稿が寄せられた。

 だが数日後、寂聴さんから「ふるさと徳島の阿波踊りを書きたくなった」と連絡があった。『平和だからこそ阿波踊り』と題した原稿が届き、掲載した。徳島で開いていた文学塾「寂聴塾」の塾生たちと阿波踊りに参加した思い出を振り返り、「今年はぜひ踊りにきませんか」と塾生から誘われたことを記している。

 当時94歳。80代後半になっても阿波踊りに参加した寂聴さんだが、92歳のときには背骨の圧迫骨折や胆囊(たんのう)がんの手術を受けた。遠出するときには車いすが多くなった。それでも、阿波踊りの8月が近づくと、「今年こそ行きたい。最後になるかもしれないから。でも、この足がねえ」と話していた。連載第15回の前に塾生から誘われ、戦争中は中止になった阿波踊りに、行きたいけれども行けない胸の内を書きたくなったのだろう。

 未発表となった原稿には、戦時中の体験や中国からの引き揚げ、そして平和への思いがつづられている。生原稿は、瀬戸内寂聴記念室のある徳島県立文学書道館(徳島市)、ファクスで届いた原稿は朝日新聞が保管している。寂庵(じゃくあん)の了承を得て掲載した。

 徳島県立文学書道館の学芸員の竹内紀子さんは「戦時中の多くの思い出をコンパクトにまとめた原稿は非常に珍しい。日本人の生き方を説いた最後の一文は、まさに寂聴さんの遺言といえる」と話している。

未発表原稿の全文

 連日のように知友の死が報じ…

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