あの日、内田篤人を守るため破った「禁」常勝集団を築いた黒衣の信念

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中川文如
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 あの人がいるから、帰って来た。

 小笠原満男も、内田篤人も、柳沢敦も、中田浩二も、そうだった。

 サッカーJ1鹿島アントラーズを黎明(れいめい)期から強化責任者として支えてきた「黒衣」、鈴木満(みつる)フットボールダイレクター(64)が昨季限りでその職を退いた。

 監督、選手だけではない。勝利のため、クラブに携わる誰もが立場を超えて結束するのだというアイデンティティーを鹿島に植えつけた。堅守速攻のスタイルに適した人材を獲得し、呼び戻すために国内外を奔走した。そうやって、アジアも含めた主要タイトル20冠の金字塔を打ち立てた。

 マンさん。親しみを込め、誰からもそう呼ばれた。

 決して表舞台に立つことはなかったが、みんな、わかっていた。「常勝鹿島」があったのはマンさんのお陰なのだと。

 欧州への移籍が、まだ珍しかった時代。日本代表の中心も彩った柳沢、中田、小笠原、内田は鹿島からイタリアフランスドイツに旅立ち、まだ十分に体が動くうちに鹿島へと帰って来た。

 マンさんがいるから。復帰を待ってくれているマンさんの気持ちに応えたいから。

 それが、大きな理由だった。

 なぜ、そこまでマンさんは信頼されたのか。

 2009年。いまも破られない記録、J1の3連覇を鹿島が成し遂げた年。

 そのシーズンの内田を巡るやりとりにも、マンさんのマンさんたる所以(ゆえん)があった。

 あの年、内田は不調だった…

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