「激しすぎる」の反対押し切り、息子の一言で生まれた爆弾ハンバーグ

池田拓哉
[PR]

 「爆ハン」とも呼ばれる「爆弾ハンバーグ」は栃木県民に愛されてきた。北関東中心に展開するレストランチェーン「フライングガーデン」(本社・小山市)の看板メニュー。「店名より『爆弾ハンバーグ』の方が有名ですかね」。創業者の野沢八千万(やじま)さん(74)が目を細める。

 昨年6月、次男の卓史さん(42)が社長を継いだ。「息子にはね、2度救われたんですよ」

 「いけいけ、どんどん」で走り続けた。1976年、妻の故郷である群馬県桐生市の市街地でピザ・クレープ店を開いた。「若者のうち、おしゃれの先端を行く10%を取り込む」。狙いは当たって連日盛況。早朝から深夜まで働き、午前3時、その日唯一の食事を取って寝る毎日だった。

 「いつか株式上場する。飲食業のステータスを上げる」。野望を胸に、近くでスパゲティ店、軽食レストランも始めた。まだ珍しかった「しょうゆベースのスパゲティ」を作るなど工夫を凝らした。

 83年、米国の外食産業を視察して経営戦略を大きく変えた。「日本にも郊外に大きな飲食店が立ち並ぶ時代が来る」。84年、フライングガーデンの1号店を桐生市郊外に開いた。まだ駅前や中心市街地の商店街が隆盛だったころ。時流を先取りした。86年には栃木県に進出し、足利市の国道50号近くに店を出した。

 当時のフライングガーデンは軽食中心でドリンクも入れてメニューが150品以上はあった。群馬・栃木の3店舗が絶好調だった88年、当時小3の卓史さんの一言にドキッとした。

 「お父さん、友だちに言われたんだけど、野沢君のお店で一番おいしいものは何なのって」。野沢さんは30秒ほど考えてから「みんなうまいよ」と答えたが、心の中は違った。即答できる一品がないと、さらなる成長はないと気づかされた。

 それから毎日、数十キロもの肉をこねて試作を繰り返した。2年後の90年、爆弾ハンバーグの原型となる「網焼き和牛100%ステーキ風ハンバーグ」を生み出した。宇都宮市の姉妹店「フライングタイガー」(現・フライングガーデン下戸祭店)の開店に合わせて売り出した。これが大ヒットした。

 野沢さんは「爆弾ハンバーグ」と命名し、全店舗への導入を決めた。社内では「名前が激しすぎる」「穏やかではない」との声もあったが、そこは野沢さんの独断。茨城、埼玉、千葉へと店舗を広げた。

 2002年、本社を桐生市から小山市に移し、2004年にジャスダック上場を果たした。

 70店まで拡大した08年、リーマン・ショックに伴う不況が襲った。11年には東日本大震災が追い打ちをかけた。この年、他の外食産業で経験を積んだ卓史さんが入社した。「店を開ければ客が入るという時代は終わった」。卓史さんは不採算店の閉店を主導。売り上げが減ることは市場に負の印象を与えるが、その中で増益をめざした。

 20年にはコロナ禍に襲われたが、近年の「守りの経営」が奏功した。20年度決算、21年度中間決算は黒字を確保できた。

 「ワンマン経営では限界だった」。野沢さんは笑った。現在58店舗。社長を継いだ卓史さんは「味を守る。そして、新しいチャレンジをしたい」。父がかなえた夢の続きは息子に託された。(池田拓哉)