(魂の中小企業)価格破壊、倒産。メガネチェーンの再生物語【前編】

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 私は大学生のころ、本格的にメガネをかけ始めました。近視、乱視、老眼……。それから三十数年、ずーーっとメガネのお世話になっています。

 大阪市に「ビジョンメガネ」というメガネチェーンの会社があります。創業は1976年。店舗数は全国に100あまり。400人あまりのスタッフが、ていねいな接客で確かな技術と知識を提供してくれます。

 店には、あらゆるメガネのお悩みを解決する「メガネのマエストロ」がいます、薬局に薬剤師がいるように。

 こんかいは2回にわけて、社長の安東晃一さん(49)を主人公に、会社再生のストーリーをお送りします。

    ◇

 安東は大阪市生まれ。小学生のころは英会話教室に通い、書道を習い、紙飛行機クラブに入る。教師になりたかった。中学時代はバスケ、高校でサッカーに打ち込む。そして、私大に進む。

 テレビゲームのしすぎだろう、安東は小学5年からメガネをかけていた。メガネの仕事をするとは思ってもみなかった。

 たまたま就職活動で友人に誘われてビジョンメガネの本社であった説明会に行った。そのころの本社は東大阪市にあった。ご存じ、ものづくりの街。ビジョンメガネはメガネづくりにもこだわる会社なのだ。

 さて、そのころ社長だった創業者は、安東たち学生に夢を語りかけた。

 「君たちは服は何着も持っている。靴もいくつか持ってる。でも、メガネはひとつしか持ってない。それっておかしいやろ?」

 「いま、メガネ市場は6千億円と言われとる。1人三つ持てば1兆8千億円市場。夢、あるやろ?」

 安東は思った。

 〈そして多くの人が一生に一度はメガネのお世話になる。人の役に立つ仕事だ〉

 1996年、安東は入社した。次のような話を聞き、さらに心が躍った。

    ◇

 ――安東が入社する前年、1995年1月17日、午前5時46分。阪神・淡路大震災、発生。

 創業者たちは思った。

 メガネをかけずに逃げた人がいる。逃げるときに壊してしまった人がいる。みなさん、「見えない生活」を強いられている。

 自分たちは関西を本拠にしている。ここは自分たちの出番やろ!

 神戸の中心である三宮に店があった。創業者や社員たちは、バイクや徒歩でかけつけて店を開けた。老眼鏡を無料で配った。レンズメーカーの協力をえて、メガネを安く売った――。

    ◇

 安東は、もしメガネがなかったら、を想像してみた。ムリ、ムリ。不便すぎる。安東は、気合を入れた。震災から1年あまり、多くの被災者がまだまだ困っていた。「メガネつくります」とチラシを配ってまわると、多くの人に喜んでもらえた。

 入社半年で、ある店の店長を任された。といっても、1人で切り盛りする小さな店。今風に言えばワンオペの店だ。しかも、売り上げは芳しくない。この人事を知った同期に言われた。

 「おまえ、貧乏クジを引いたな」

 はたから見れば貧乏クジに見…

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