初心者から3年で日本一に 大学では異例の引退を決めた高校生の決断

篠原大輔
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 昨年12月26日、アメリカンフットボールの高校日本一を決める「クリスマスボウル」が横浜スタジアムであった。立命館宇治(京都)が佼成学園(東京)を24―21で下し、2年ぶり2度目の優勝を飾った。その攻撃を統率したQB(クオーターバック)は、奈良市在住の川久保和翔(かずと)さん(3年)だった。

 この日はパスで二つのタッチダウンを決め、走っても効果的に前進。高校日本一に大きく貢献し、「最優秀バック賞」も受けた。「ベタなことを言いますけど、仲間を信じてやれたから優勝できました。高校からアメフトやってよかったです」。川久保さんは、そう言って爽やかに笑った。

 川久保さんは奈良市立飛鳥中学校では野球部で捕手だった。2学年上の姉と同じ立命館宇治高校に進むことになり、「新しいことにチャレンジしてみたい」とアメフト部に入ることにした。

 いきなり花形のQBになった。試合の勝敗を大きく左右する難しいポジションだけに、強豪校では中学校までのフットボール経験者がQBになることがほとんどだが、川久保さんは捕手経験者で背が180センチ近かったことで、強肩とスケールの大きさ、そして頭のよさを買われた。

 2年生にはQBの先輩がおらず、3年生のエースQB庭山大空さん(現・立命館大2年)とコーチが、一から教えてくれた。入学時は体重60キロと細く、毎日おにぎり6個を持って登校。苦しみながら1年で13キロ増やした。

 その秋は全国大会を勝ち進み、クリスマスボウルで勝って初の日本一に。「こんなに強いんや」。川久保さんはそこで初めて、強豪の一員になったのを実感した。

 2年生になると、わずか競技歴1年でエースQBに。嫌でもチームを日本一に導いた庭山さんと比較される。秋の全国大会は関西地区準決勝で6―24で敗れた。「ほんまにしんどかった。3年生がいい人ばかりで、その人らを自分のせいで引退させてしまった。心が痛くて学校に行くのも苦しくなるぐらいでした」

 3年生になり、春の関西大会準決勝で箕面自由学園(大阪)に0―30の完敗。最後の秋の京都府予選初戦は龍谷大平安に大苦戦し、7―6と辛勝。お先真っ暗の思いを強くした川久保さんは翌日から学校を休んだ。母の明美さんは「俺あかんわって、相当落ちてはりました」と振り返る。

 休んで2日目、木下裕介監督から電話があった。「今年のチームはお前やし、お前でダメなら仕方ない。勝っても負けてもやりきろう」。翌朝の練習からチームに戻った。

 全国大会の関西地区初戦は啓明学院(兵庫)との対戦。0―0で迎えたハーフタイム、木下監督は全員の前で川久保に言った。「困ったらお前が走れ」。川久保さんは吹っ切れたように走った。パスのときでも味方のレシーバーが相手にカバーされていると判断したら、スッとランに切り替えて前進した。7―3で勝ち、さらに関大一(大阪)、関西学院(兵庫)をともに10―0で下してクリスマスボウルに進んだ。

 佼成学園に0―14とリードされた。川久保さんは関西地区決勝で左ひざを痛め、この日はぶっつけ本番。しかし、気迫のこもったプレーで逆転勝ちにつなげ、歓喜の瞬間を迎えた。秋以降の攻撃陣の目標だった21得点を初めて上回った。

 木下監督は「庭山と比較されるプレッシャーがあり、オフェンスが進まないのはQBが悪いと思い込んでモヤモヤしてたのが、3年の秋にようやく晴れた。試合ではどんな形であれ、前に進めることが大事なんだと気づいて変わった。まさか、ここまでの選手になるとは思いませんでした。チームにとっても3年間で日本一のQBを育てられたのは、今後の武器になります」と話している。

 川久保さんには夢がある。外交官になって日本と海外をつなぐ仕事がしたいと、春からは立命館大の国際関係学部に進む。大学では勉強に力を入れるために、アメフトは続けないつもりだ。

 高校日本一チームのQBが大学で競技を続けないのは、異例中の異例。私は彼に「そうは言っても、春には大学のフィールドに立ってるって」と願望込みで言ったが、将来のために競技をやめる決断もめちゃくちゃにカッコいい。(篠原大輔)