第3回卓球部入りたい…父は怒鳴った「できるわけない」 心臓病の息子の涙
長野県松本市で暮らす宮林希(のぞみ)くん(18)は4歳までに、生まれつき機能が低い心臓の働きを補うための手術を3回受けた。
ただ、心臓の状態によっては血液に酸素が十分に行き渡らず、体に負担がかかってしまう時がある。
顔色が悪くなったり、唇が紫色になったりすることがあった。
通い始めた幼稚園は、心臓病や聴覚障害の子どもを受け入れた経験があり、先生も不調の兆候を見逃さないようにしてくれた。
クラスでは体は一番小さく、足も遅いけれど、園庭を走り回る活発な子どもに育った。
遠足も、行きはみんなと一緒に歩くこともできた。
幼いころからチェロを習い始め、小学生になると、豪州のサマースクールで学んだり、大人のオーケストラの練習に参加したりした。
姉の悠莉さん(22)はピアノ、妹の明莉さん(15)はバイオリンを習っていて、家族で演奏を楽しむこともあった。
小学2年生の時の日記には、「とくいなことチェロ すきなものきゅうしょく がんばったことなわとび」と書いた。
聞き分けがよく、母親の葉子さん(55)にとって手がかからない子どもだった。
ただ、葉子さんが「葛藤があるのでは」と感じることがあった。
休み時間に校庭でサッカーをするのが大好きだったが、高学年になると、希くんにボールが回らなくなったようだった。
「サッカークラブで活動している子や運動神経のいい子にとって、希は足でまといでしかない。残酷だけど、パスがこないことになってしまったのかな」
葉子さんはそう感じた。
それでも、希くんは校庭に出ることをやめなかった。
「見えない障害」 中学に入って芽生えた思い
松本市内の中学校に入学したころ、葉子さんが忘れられないできごとが起こった。
部活をどうしようかと考えて…
連載エイトとのぞみ(全5回)
この連載の一覧を見る
- 服部尚(はっとり・ひさし)朝日新聞記者
- 福井支局をふり出しに、東京や大阪の科学医療部で長く勤務。原発、エネルギー、環境、医療、医学分野を担当。東日本大震災時は科学医療部デスク。編集委員を経て現職。