海部俊樹元首相が死去 91歳 湾岸戦争時に首相、政治改革に意欲

 海部俊樹(かいふ・としき)元首相が9日死去したことが分かった。91歳だった。1989年8月から91年11月にかけて首相を務め、政治改革に意欲を示した。衆院当選16回、在職48年を数えた。2009年の総選挙で落選し、政界を引退していた。

 名古屋市生まれ。60年の初当選時から三木派・河本派と弱小派閥に属したが、故・竹下登元首相らとも気脈を通じた。宇野宗佑政権が89年夏の参院選リクルート事件や女性スキャンダルなどへの世論の反発から敗北した後、旧竹下派の支持を得て首相に就任した。

外交文書は語る2021

冷戦終結直後から湾岸戦争前夜までの激動期の極秘文書。世界から動向が注視された経済大国・日本のかじ取りに迫る。

 首相在任中、リクルート事件の反省から「対話と改革の政治」を掲げた。衆院に小選挙区制を導入するための政治改革関連法案の成立を目指した。しかし、与野党に慎重論が強く廃案の公算が強まった際、「重大な決意で事態の打開に当たる」と語り、解散・総選挙を辞さない姿勢を示した。しかし、理解を得られず、再選を目指した91年秋の自民党総裁選には旧竹下派の主導で立候補の断念に追い込まれた。

 91年の湾岸戦争では自衛隊の派遣に慎重な姿勢をとる一方、米国を中心とする多国籍軍に130億ドルの資金提供を決めた。日米構造協議でブッシュ大統領(当時)との調整にあたったほか、北方領土問題をめぐってゴルバチョフ大統領(同)と会談を重ねた。

 昭和生まれ最初の首相という若さに、金銭に絡むスキャンダルがなかったことが加わり、歴代政権の中でも比較的高い支持率を維持した。水玉模様のネクタイがトレードマークだった。

 94年に自民党を離党し、新生党公明党などの連立与党(同)の候補として、自民、社会、新党さきがけが推す村山富市氏と争い、敗北。その後、新進党の党首や保守党の最高顧問などを務め、保守新党が自民党に合流した03年に自民党に復党。09年衆院選で落選し、政界を引退した。