男子100mの柳田選手 開花したスプリンターの才能

加藤秀彬
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 東京五輪があった昨年、陸上男子100メートルで日本のトップ選手たちと互角に戦った群馬出身のスプリンターがいる。東農大二高(高崎市)3年の柳田大輝(ひろき)選手だ。「思い描いていたより、はるか上にいけました」

 周囲を驚かせたのは昨年6月、東京五輪の選考会を兼ねた日本選手権の準決勝だった。同じ組には日本記録保持者の山県亮太選手、前記録保持者のサニブラウン・ハキーム選手がいた。前半から食らいつくと、山県選手に次ぐ2着でフィニッシュした。10秒22。サニブラウン選手に並ぶ高校歴代2位の好記録だった。

 高校1年まで、走り幅跳びのジャンパーとしてその名を知られていた。全国中学校体育大会や国体を制した。幅跳びと並行して取り組んでいた100メートルが急成長を遂げたのは、高校に入ってからだ。

 「これはものが違うなあ」

 東農大二高陸上部の顧問、斎藤嘉彦さん(49)が初めて柳田選手を見たのは中3の冬。すぐにその才能を見抜いた。

 400メートル障害で1992年バルセロナ五輪に出場した斎藤さんは、柳田選手が足で地面を押す力に驚いた。その姿に、2008年北京五輪の男子400メートルリレー銀メダリストの朝原宣治さんの姿が重なったという。

 柳田選手の入学が決まっても、高校で選手として完成させようとは思わなかった。「全てをやりきって、大学で伸びずにつらい思いをする選手を見てきたので」と斎藤さん。世界で戦える可能性があるからこそ、長い目で見る。入学後も本格的なウェートトレーニングはさせなかった。取り組んだのは、「高校生がやるべき普通の練習」だったという。

 斎藤さんが考える、柳田選手が成長した理由は「自分で工夫して考えられるから」。

 柳田選手が2年生になる直前の春、新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた。学校は休校し、寮生活の柳田選手も館林市の実家に帰った。

 グラウンドは使えず、大会もない。そんな中、祖父母の家で軽トラックを押し、スタートダッシュに必要な筋力を鍛えた。ときには、陸上部に所属する2人の弟とともに、家の駐車場でサーキット練習をこなした。人通りが少ない公園や坂道でも走り込んだ。

 5月に休校期間が終わると、走りは見違えて良くなっていた。斎藤さんは振り返る。「あ、ちゃんと練習やってたなってすぐにわかりましたよ。30メートル付近から加速していく感じが山県選手のようでした」

 昨年、記録を出せた理由が、もう一つある。

 一昨年冬の練習から、日本選手権の100メートルだけに照準を合わせた。東京五輪の代表を狙うためだ。

 斎藤さんも、この代表権争いには特別な意義があると思っていた。

 「どんなに他の試合で良くても、約束されたその日に結果を残さないと出られない。若いうちにその経験をするのも大事かなと」

 斎藤さん自身、95年と97年の世界選手権に選ばれたが、96年アトランタ五輪には出場できなかった。五輪をかけた日本選手権の雰囲気を感じて欲しかった。

 走り幅跳びについては今後も「やりたい気持ちはある」というが、メインは100メートルになりそうだ。

 群雄割拠の男子100メートルで上をめざすため、次の目標も明確だ。「9秒台を出さないと代表になれないので。2年後までには出したい」。未完の大器は、その先にパリ五輪を見据えている。加藤秀彬