「大切な人いること当たり前でない」 震災知る最後の世代が決意

阪神・淡路大震災

島脇健史
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 阪神・淡路大震災で母と弟を亡くした小学校教諭の長谷川元気さん(35)は、今年の「1・17」を新たな決意で迎えた。昨年春、神戸を拠点とする震災の語り部グループの新代表になった。27年前の教訓を風化させない。父親にもなったいま、あらためて誓う。

 グループは2005年に結成された「語り部KOBE1995」。兵庫県芦屋市で被災した元小学校教諭の田村勝太郎さん(80)を中心に、17年間で約200件の語りをしてきた。

 田村さんは年齢を重ねるにつれ、活動の緊張感が続かないと感じていた。そこで、2014年から活動に加わり、「震災を直接知る最後の世代」の長谷川さんに代表を託した。

 長谷川さんは当時8歳。あの朝、神戸市東灘区の木造2階建てアパートの1階で、家族5人で寝ていた。目が覚め、トイレに行って戻ると、下から突き上げられた。柱が折れ、天井が崩れ落ちた。

 「お母さん!」。何度も叫んだが、返事はない。暗闇の中、壁をたたき破り、外に出た。近くの公園で1歳下の弟とベンチに座り、母の規子さん(当時34)と末の弟の翔人ちゃん(当時1)を待った。

 日が暮れ始めたころ、父が現れた。「あかんかったわ」。洋服ダンスの下敷きになっていたという。

 母はしつけに厳しく、食事を残したり、兄弟げんかをしたりして、しかられた。でも温かかった。

 1歳4カ月だった翔人ちゃんは、いつも笑っていた。ボールを転がすと蹴り返してくる。

 そんな姿を見つめ、「将来が楽しみやなあ」とほほえむ母。ああ、震災は夢やったんや――。

 そう思うと目が覚め、涙がぽろぽろとこぼれた。家族で過ごす何げない日常の夢を、小学校を卒業するまで週に2度ほど見続けた。

 同級生が「お母さんが……」と言うのを聞くだけで胸が締めつけられ、校庭の隅で泣いた。すると、担任の先生が「大丈夫よ」と背中をさすり、寄り添ってくれた。そんな先生になることが将来の夢になった。

 大勢の前で体験を初めて話したのは大学生の時。中学時代の恩師に誘われ、母校の後輩に語った。当時を思い出すのは心が重い。ただ、生徒たちのまっすぐな表情を見て、温かい気持ちにもなった。

 教員になり、小学校の集会で体験を語ったことがきっかけで、田村さんから語り部に誘われた。

 グループは世代交代が進み、現在はメンバー7人のうち5人が20~30代。震災当日に生まれたメンバーもいて、当時の体験だけでなく、国内外で学んだ防災の知識や経験も伝えている。

 2年前に長女が生まれ、父親になった。お母さんにもっと優しくすれば良かった。翔人ともっと遊んであげたかった――。そんな後悔にさいなまれることもある。子どもたちに、そんな思いはさせたくない。

 17日朝、長谷川さんは勤務する神戸市立若宮小学校の震災集会で、児童らに語りかけた。「大切な人がいつもいるということは、当たり前じゃない。ささいなことでも感謝を伝えよう」

 防災を自分事として考えてもらうため、これからも語り続ける。(島脇健史)

1.17 再現/阪神・淡路大震災

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