「待合政治」を打ち破るために 原武史さんが読み解く、先人の言葉

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構成・藤生京子
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 岸田文雄首相の就任から3カ月余り。コロナ禍が感染の急拡大で再び予断を許さない状況を迎え、その発信力が試されている。新しい年、私たちはどんな姿勢で政治における「言葉」と向き合えばよいのだろう。昨年、古今東西の多彩な分野に及ぶ366人もの政治観を『一日一考 日本の政治』(河出新書)にまとめた、政治学者で放送大学教授の原武史さんに聞いた。

 敵・味方に国民を二分すると言われた安倍晋三元首相、官僚答弁棒読みとの指摘もあった菅義偉前首相。その反省に立ったのか、「聞く力」を強調する新首相は、総じて評判がいいようですね。

 ただ、論評は少し早すぎませんか? 内閣交代のたび支持率がはね上がり、しばらくするとまた落ちる。近年はそんな光景が続いてきましたから。

 ドイツの哲学者ショウペンハウエル(1788~1860)は「最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたものを改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信ずることほど大きな誤りはない」(岩波文庫『読書について 他二篇』)と言っています。その時々の政局を近視眼的な見方で眺めることに慣れた我々が、傾聴すべき視点だと思います。

 できれば500年、千年単位の時間軸で考えたい。日本なら少なくとも明治維新にまでさかのぼって参照することが、問題を理解していく上で大切でしょう。

 夏に参院選を控えていますが、コロナ禍が長引き、経済も社会保障も外交も、重要な問題がこれだけ山積みなのに、国民の関心はさほど高まっているようにはみえません。欧州では、政府のコロナ対策に抗議して大規模なストやデモが行われたのと対照的です。

 その落差は、哲学者の和辻哲郎(1889~1960)が、昭和の初めにドイツへ留学したとき抱いた感慨を思い起こさせられます。

 「共産党の示威運動の日に一つの窓から赤旗がつるされ、国粋党の示威運動の日に隣の窓から帝国旗がつるされるというような明白な態度決定の表示、あるいは示威運動に際して常に喜んで一兵卒として参与することを公共人としての義務とするごとき覚悟、それらはデモクラシーに欠くべからざるものである。しかるに日本では、民衆の間にかかる関心が存しない」(岩波文庫『風土』)

 1世紀近い時間が流れたいま、「公共」の意識は、果たしてどれだけこの国に根付いたといえるのでしょうか。

「寡欲」な日本人

 政治学者の篠原一(1925…

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