「明訓が本当にあると証明」 水島新司さんも喜んだ新潟明訓の甲子園

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高橋俊成、小川聡仁
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 高校野球漫画の金字塔「ドカベン」などで知られる新潟市出身の漫画家、水島新司さん(82)が亡くなった。ドカベンの「明訓高校」のモデルとなった新潟明訓高校(新潟市江南区)にも水島さんはかつてよく訪れた。同校関係者は、気さくで豪快、野球に熱かった水島さんの死を悼んだ。

 新潟明訓の野球部長、波間(はま)一孝さん(56)は30年ほど前、水島さんが練習を見に来た時のことを覚えている。

 「本当に野球が好きで、控え選手にも声をかけてくださった。すごく励みになって、練習に熱が入りましたね」

 サインを求めて部員の保護者らの人だかりができることもあったが、水島さんは快く応じていたという。

 水島さんのおいが同校野球部に入ったことをきっかけに、1990年ごろからは練習にも顔を出すように。「非常に気さくで豪快。当時コーチだった私のことを『助監督』と呼んでくれました」と振り返る。

 同校はかつて、水島さんが通っていた市立白新中学校(新潟市中央区)の近くにあった。新潟明訓が漫画のモデルとなったのは、野球部員を間近に見て同校に憧れたからだと、波間さんは水島さん本人から聞いたという。

 水島さんのおいが在学中の91年、同校は初めて夏の甲子園出場を果たす。その時の監督だった佐藤和也・新潟医療福祉大総監督(65)も「非常に残念だ」と語った。

 佐藤さんも学生時代にドカベンを読んだファンの一人。新潟明訓が実在することを全国に伝えたいとの思いで甲子園を目指した。初出場を決めた際、水島さんは電話で「明訓が本当にあると証明してくれてありがとう」と祝ってくれた。甲子園球場にも応援に訪れ、試合を観戦したという。

 甲子園初出場を喜んだ水島さ…

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