第1回寒すぎて泣く子も…その少年団から2人の五輪スケーターが羽ばたいた
北方領土に向かい合う北海道の東にある別海(べつかい)町から、北京五輪で金メダル獲得の期待がかかるスピードスケーターが現れた。しかも2人も。
人口約1万4500人、牛の飼養頭数約11万8400頭。「人より牛が多い町」を売りにする酪農の地で、2人が育ったスケート少年団を訪ねた。
「おーい、そんなんじゃ。航(わたる)に勝てねーぞー」
「航になんか、勝てるわけないじゃん」
「言い返す余裕があるなら、転んでもいいから思い切っていけ」
昨年12月29日午後7時ごろ、吹雪の別海町営スケート場。コーチとそんな会話をしながら、6人の小学生がコーナリングの基礎練習に励んでいた。1周400メートルの屋外リンクの氷は積雪で見えなくなるほどだ。
「航」とは、森重航選手(21)。この日、北京五輪の代表選考会で優勝を決めていた。
今季、ナショナルチーム入りし、瞬く間に世界のトップスケーターの一人となった。全日本距離別選手権のスケート男子500メートルで初優勝すると、ワールドカップ(W杯)で頂点に立ち、北京の舞台に一直線でたどり着いた。
その森重選手は、町営スケート場で練習していた小学生たちと同じ「別海スケート少年団白鳥(はくちょう)」(白鳥)の出身。団員たちのあこがれだ。
「僕は新浜(しんはま)選手がかっこよくて『白鳥』に入りました」
寒さで顔を真っ赤にして話すのは、小学3年の片野大河さん(8)。
「新浜」とは白鳥出身のもう一人のスター、新浜立也選手(25)だ。現在の日本記録保持者。2018年にW杯で初勝利をあげると、翌年には世界新記録(当時)を出した。代表選考会では森重選手に続く2位だった。
2人を生んだ白鳥は、1981(昭和56)年に創設された。約40年の歴史があるが、今も練習設備は整っているとは言い難い。
連載「白鳥のスケート少年団」のページはこちら(全3回)
「人より牛が多い」が売り文句の、北海道の酪農の町に生まれた森重航選手と新浜立也選手は、なぜ世界のトップスケーターに躍り出たのか。その謎に迫ります。
屋外に吹きさらしのリンクは保護者らが手作りする。例年、厳冬を迎える12月下旬、零下10度が3~4日間続く夜を見計らって保護者らが集まり、リンクに水をまく。整氷車は、搾乳で使う「牛乳タンク」を載せたトラックだ。
一晩中、トラックでリンクを…