母は激怒、妻は不機嫌 でも縫い続けた憧れの「タイガーマスク」
アニメ「タイガーマスク」でプロレスのマスクにはまった少年が、38年間、理想のマスクを求め創作を続けている。岡山県倉敷市北浜町の歯科技工士、佐藤嘉彦さん(52)。これまでに縫ったマスクは数千枚に上る。寅(とら)年を迎え、「行け行け」とばかりにさらに意欲を燃やしている。
「かぶりたい」という気持ちが芽生えた小学生の時。プロレスショップで売られていた本物のマスクは3万5千円もして、手が出なかった。この無念から14歳でマスクを作り始めた。プロレス新聞の特集で掲載されたマスクの型紙がきっかけだった。
手芸店で端切れを買い、母親の足踏みミシンで毎晩縫った。裁縫経験は無かったがすぐ慣れた。あまりに何度も足を運ぶため、手芸店主からは不審の目を向けられた。事情を説明すると「不良になるよりはいい」と言われた。
受験迫っても、新婚旅行でも
高校受験が迫るのに、マスク作りに熱中する佐藤さんに母親が激怒したことも。プロレス新聞の切り抜きやマスクは捨てられ、ミシンの使用も禁じられた。そんななかでもミシンのある友人宅を訪ねて、マスク作りを続けていた。
高2の時、東京のプロレスショップが開いたマスクコンテストで準優勝。ここでプロレス関係者と知り合い、プロレスラーのウルティモ・ドラゴンのマスクを頼まれるまでになった。
自然とマスクの歴史にも詳しくなった。発祥は1930年代。プロレスの本場メキシコで、善玉と悪玉を見分けやすくするために作られたのだという。悪玉役の米国人プロレスラーがかぶっていたが、やがて善玉役にも広がった。
新婚旅行はメキシコ。つまらなさそうな妻を、現地の布店やマスク店、プロレスショップに連れ回した。妻は終始不機嫌だった。
マスクは破れたり脱げたりしてはならない。特に破れやすい目の周りには、裏に本革を縫い込んで補強。「ずれず、脱げず、破れず」の鉄則を守りながら、美と迫力を求める。
「マスクをかぶると、別の自分になれる。強くなれる。正義の勇気もわく」と佐藤さん。「誰もが秘めている変身願望をかなえてくれる力がマスクにはある」と力を込める。
コロナ禍で感染防止のためのマスクが不足した際には、培ったノウハウを生かし、100枚の「普通のマスク」を縫って配った。
◇
佐藤さんのタイガーマスク12点などが並ぶ個展が、岡山市北区天神町のカフェ「SYNERGY73」で23日まで開催中だ。午後2時~翌午前1時。ワンドリンクの注文が必要。(神崎卓征)