「みんなの家」の可能性考えるシンポジウム 23日開催

堀越理菜 三井新
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 東日本大震災を契機に各地に建てられた「みんなの家」の可能性を考えるシンポジウムが、23日に開かれる。熊本県が支援し、2011年秋に仙台に初めて造られたものだ。その後、東北各地や県内の被災地で、人々が集い、語り合う場となってきた。復興後も活用されている。熊本や仙台にある、みんなの家を訪ねた。

「新たな役割 期待」

 熊本地震の前震と本震で震度7を2回観測した熊本県益城町では、3026棟が全壊、3233棟が半壊以上の被害を受けた。ピーク時の17年1月末には18の仮設団地に1515戸3913人が入居した。

 被災者の住まいの再建が進むのに伴って団地は集約され、最後に残る木山仮設団地には22戸66人(昨年12月時点)が身を寄せている。団地には4棟のみんなの家が建てられた。

 そのうち1棟は、広場に向かって大きな掃き出し窓がある木造で、屋外と一体的に使えて勝手がよいという。住民の意見も取り入れて造られ、屋内に広々とした空間がある。町社会福祉協議会が町から受託し、被災者を支援するために運営する「地域支え合いセンター」の遠山健吾センター長によると、ボランティアによる炊き出しや行事などに使われてきた。現在も団地の入居者や、既に退去した人たちもサークル活動などで集まる。

 遠山さんは「イベントでのあいさつをきっかけに住民同士のつながりができ、コミュニティー形成の場として役立った。親しみやすい名前だったのもよかった」と振り返る。ボランティアによるイベントに参加していた住民が次第に自分たちでもお茶会を企画するようになり、災害公営住宅などに移り住んだ後も続いているという。

 現在も団地で暮らす古田学さん(74)と妙さん(75)夫婦は「他に行くところもないし、集まれる場所があるのはよかった」と話す。

 地震後に仮設住宅が立ち並んだ御船町のふれあい広場は、今は公園の機能を取り戻し、子どもたちが芝の上を走り回っている。その広場に青色の木造平屋の建物がある。かつて町内の仮設団地にあったみんなの家3棟を活用した、多目的センターだ。

 指定管理者となっている町観光協会が、地元の名産品を扱う店やカフェ、観光案内などの場として活用している。協会職員で自身も被災した吉田真理子さん(33)は「センターがあることで公園を利用しやすくなっていると思う。子どもたちが遊んでいる様子を見るとよい形で前に進んでいると感じる。施設が憩いの場になっている」と目を細める。

 広場で開かれた食べ物などを売るマルシェ(市場)に参加していた山下マキさん(49)は「(みんなの家を)解体するのではなく、利活用できたのはよかった。施設がもっとにぎわうよう、新たな役割や可能性に期待したい」と話した。(堀越理菜)

震災遺構 活用目いっぱい

 仙台市宮城野区の仮設住宅に11年10月に初めて建てられた「みんなの家」は17年4月、同区新浜地区に移築された。

 新浜地区は津波被害を受けた後、かさ上げ道路が整備され、仮設などで暮らしていた住民も戻ってきた。

 移築の際、熊本とのつながりを意識し、外壁は熊本県のキャラクター「くまモン」の黒色に塗り替えられた。

 熊本の木材を使った平屋建て。コロナ禍で活動は少なくなっているが、現在も地域住民の憩いの場の役割は変わらない。お茶会や地域の散策などの拠点として活用されている。

 構想時からかかわってきた新浜地区の住民3人に、みんなの家で話を聞いた。

 平山次雄さん(84)はもともと左官業。みんなの家を建てる際、全国各地からボランティアで来た学生らに、ペンキの塗り方を教えるなどした。「仮設では他に行く場所がなかったから、面白かった」。完成後も、率先してテレビ台や本棚を備え付けた。「100年はもつだろう。よく建ててくれたよなあ」とつぶやいた。

 新浜町内会長の遠藤芳広さん(71)は、津波で母を亡くした。一周忌の時、みんなの家を貸し切りで使い、集まった親族らと懇談する場とした。仮設の自宅や集会所では狭かったためだ。「久しぶりにくだけた話ができ、気持ちが穏やかになった」。今も大切な思い出という。

 仮設で初代の自治会長を務め、現在は町内会の副会長の平山一男さん(75)。仮設には新浜地区以外の住民が入居していたこともあり、住民同士の交流が課題だったという。「みんなの家のおかげでコミュニケーションがとりやすくなり、不安も解消された。感謝しかないです」と話す。

 建設を提案した建築家の伊東豊雄さんと利用者が、みんなの家で飲み会を開いたことも印象に残っているといい、「伊東先生は親しみやすく、いとこが帰ってきたという感じだった。また一緒に飲みましょう」。

 現在は管理人を務めている。「みんなの家は『震災遺構』。第1号だから、コロナ禍が収まれば、また目いっぱい使っていきたい」と言う。(三井新)

県内に100棟以上 仮設住宅解体後も

 みんなの家は、被災者のコミュニティーを形成し、安らぎを感じられる空間をつくることをめざした施設だ。住民が集って語り合える場として、被災地で整備されてきた。

 被災地の仮設団地に設けられる一般的な集会所はプレハブで建てられることもあるが、みんなの家は、建築家と被災者が話し合うなどして設計、整備される。2011年の東日本大震災後、熊本県の支援で仙台市に初めて造られた。

 熊本県は、後世に残る建築物を地域につくることなどをめざす「アートポリス」事業を1988年から続けている。東日本大震災後、事業のコミッショナーを務める建築家の伊東豊雄さんの提案をきっかけに、みんなの家づくりが始動。他の建築家も連携し、東北には16棟が建った。

 その後、県は12年の熊本広域大水害、16年の熊本地震、20年7月の県南部を中心とする記録的豪雨と、相次ぐ災害に見舞われた。県は東北での経験を生かし、災害救助法に基づく国からの費用や日本財団の支援などにより、県内に100棟以上のみんなの家を建てた。

 復興の進展に伴い、仮設住宅が解体されるなどして当初の役目を終えた後も、移築されて地域の憩いの場になるなど、活用されている。

活用探るシンポ あすオンラインでも

 シンポジウム「みんなの家って何だろう」が23日午後2時から、熊本と東北をオンラインで結んで開催される。本会場はせんだいメディアテーク(仙台市青葉区)とホテル熊本テルサ(熊本市中央区)。このほか、熊本県益城町、大津町、西原村、仙台市宮城野区、福島県相馬市のみんなの家などにサテライト会場を設ける。

 仙台の本会場は既に満員だが、オンライン参加は可能。熊本は感染防止対策のため、オンラインのみ。22日午後5時までに申し込みが必要。問い合わせは、熊本はくまもとアートポリス事務局(096・333・2537)、東北はNPO法人HOME―FOR―ALL(03・3416・2308)へ。