名護はきょうも「むたばれる」 7度目の市長選、生まれ島の未来は

有料会員記事沖縄・本土復帰50年

笹川翔平
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 沖縄の本土復帰から50年。沖縄県名護市はその半分の時間、普天間飛行場宜野湾市)の移設問題に揺さぶられてきた。市長選は23日投開票。名護の歴史を知り尽くす岸本林(はやし)さん(66)の口をつくのは、「むたばれる」という沖縄言葉(ウチナーグチ)だった。

 名護市のシンボル、樹齢300年とも言われる「ひんぷんガジュマル」。その巨木を見上げ、岸本さんは言う。「名護は、今も昔も最高におもしろい。それが僕のテーマ」。肩書は市文化財保存調査委員会の委員長。市内に86ある指定文化財の調査や、新たな指定に向けた登録作業などに関わる。昔ながらの製法の塩づくりや、ツアーガイドもしている。

 でも、こう嘆いた。「多くの人が、名護はなんもないって言うんだよ」

 名護市がある沖縄本島北部は「やんばる」と呼ばれる。山がちで耕地も産業も少ない、薪(たきぎ)を南部に売って暮らす地域だった。「名護は何もないから、ヤマト(本土)や海外に行ってもうけてこいと、出稼ぎや移民を送り出した」。祖父も、ペルーへの移民を経験した。

 1972年の本土復帰は高校2年生で迎えた。「未知との遭遇」のようでわくわくした。ビルが建ち、道路やダムが造られ、離島には競うように橋が架かった。次から次にやってくる「豊かさ」を追い、名護の人は「なんもない」と思い続けた。

 そして、移設問題が浮上した。

 子どもの頃は、米兵と結婚し…

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