コイに恋して日本一、郡山の濃い関係 震災、コロナに負けず推し続け

有料会員記事

斎藤徹
[PR]

 食用コイ生産量日本一の福島県郡山市で、コイの消費拡大に向けた取り組みが熱を帯びている。この時期、コイは身が締まり、市内では鯉(こい)食キャンペーンも始まった。でも、なぜ福島の経済中心地でコイ養殖が盛んなのか。郡山とコイの濃い関係を探った。

20年度 生産量9割戻る

 記者は昨年12月に郡山市に転勤してきた。転入手続きをしに行った市役所には巨大なコイの絵。郡山と言えば福島経済の中心地というイメージが強く、コイ養殖が盛んと聞き驚いた。

 全国唯一という市の「鯉係」によると、養殖コイの市町村別生産量は、郡山が1位。都道府県別で福島県は茨城県に次ぐ2位だが、福島県の生産量の8割を郡山市が占めるという。

 郡山のコイ養殖は、明治時代の大規模公共工事「安積(あさか)開拓」と深い関係がある。現在の郡山市域に広がっていた安積原野は、農業用水を供給する川が乏しくため池が点在していた。荒れ地を沃土(よくど)に変えるため、政府は明治12(1879)年から3年かけ、東方の猪苗代湖から続く長大な水路「安積疏水(そすい)」を造った。

 郡山の人々は、使われなくなったため池に水を引きコイを育て始めた。周辺は養蚕も盛んで、エサとなる蚕のさなぎも手に入りやすかった。以降、内陸部でとれる貴重な魚として、コイ養殖が広まっていった。

 「安積開拓とコイは、切っても切れない関係なのです」と白岩孝・鯉係長(51)。ミネラル豊かな猪苗代湖の水に育まれたコイは泥臭さもなく美味だとの評判が高まり、高値で取引されるように。生産量は昭和50年代にピークに達した。

 だが、平成に入ると、食文化や流通の変化で、コイの消費量は年々落ち込んでいった。決定的なダメージとなったのが、2011年の東日本大震災東京電力福島第一原発事故だった。

 前年度に930トンあった郡山のコイ生産量は11年度、480トンにまで激減。その後も風評被害が続き、魚価も下落した。

 危機感に駆られた市は15年度、前年の内水面漁業振興法成立をはずみに、園芸畜産振興課に鯉係を新設。震災からの復興とコイを使った地域活性化策を始動させた。名づけて「鯉に恋する郡山プロジェクト」。

 コイ料理の試食会や新商品開発、小中学校給食の献立へのコイ提供、コイ料理が盛んなハンガリー料理人を招いての講習会、公式歌「どっ鯉ソング」制作――。被災地支援に取り組む大手飲料メーカー・キリンや国からの支援を受けつつ、市は毎年500万~600万円の予算を組み、あの手この手でコイのPRに取り組んだ。

 初代鯉係長を務めた箭内勝則・市逢瀬行政センター所長(54)は「初めは生産者から『うまくいくわけがない』と言われたこともあったが、話し合いを重ね、協力してくれる人を増やしていった」と振り返る。市のコイ生産量は20年度、812トンと震災前の9割にまで戻った。

多彩なメニュー・流通拡大に着手

 プロジェクトを進める中で…

この記事は有料会員記事です。残り957文字有料会員になると続きをお読みいただけます。