ミャンマー国軍の監視をかいくぐり、命がけで音楽活動を続けるパンクバンドがヤンゴンにいる。その思いを伝えたいと、親交のある大阪の音楽レーベルが日本盤CDを出した。国軍がクーデターで政権を握り、2月1日で1年となる。(宮崎亮)
「スーチー氏が拘束」やりきれなくて
クーデターから10日が経った昨年2月11日。YouTubeに1本のミュージックビデオが投稿された。曲名は「One Day(いつの日か)」。
動画は激しいギターの響きで始まる。モヒカンヘアに両腕のタトゥー。パンクスタイルの服装に身を包んだ10人ほどの男女がヤンゴンの街を歩く。軍への抵抗を示す「3本指」を掲げ、やがて街中で広がるデモの波に加わっていく。
《目を覚ませ 仲間たちよ》
ボーカルの男女が交互にミャンマー語で歌う。
《未来を担う世代のために》
《ここに存在する悪のシステムを破壊するんだ》
曲が激しさを増す。
《弾圧から目を覚ます時だ》
《搾取から抜け出す時だ》
(邦訳はTakeshi Evolstak氏)
バンドは「The(ザ) Rebel(レベル) Riot(ライオット)」。リーダーでボーカルのチョーチョー(34)はクーデターの早朝、携帯もネットもつながらないのに気づいた。
一緒に暮らす仲間がラジオのニュースを聴き、「(国家顧問の)アウンサンスーチー氏が拘束され軍が権力を握ったようだ」と言った。「クソ、またそんな時代が来たのか」。自分の未来もミャンマーの未来もなくなったと思い、涙が出そうになった。
しかし、路上でおびえる人々を見て気持ちが変わった。仲間たちに声をかけた。
「俺たちは何かをしなければならない」
3本指を掲げて通りに出た。数日後の早朝、軍や警察の目をかいくぐって「One Day」の動画(https://www.youtube.com/watch?v=3ODKj6E-L5E)を撮った。
「本当に危なかったが、ミャンマーで起きていることを自分たちの曲で世界に知らせたかった」
生まれた時から軍政だった 20歳で見た風景
チョーチョーはずっと軍政下で育った。ただ、生まれた翌年の1988年にはスーチー氏が表舞台に出た民主化デモがあった。政治に詳しくはなかったが、多くの無実の人々が殺され捕まったことは聞いていた。
学校になじめず世の中を恨んでいた10代の自分を救ったのはパンクロックだった。
後半では、チョーチョーと大阪の男性の出会いを描きます。
70年代に英米で生まれた反…