「父を返せ」 いま世界に届けたい思い、原爆の下で起きたこと

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三宅梨紗子 岡田将平 安斎耕一 米田悠一郎
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 広島、長崎への原爆投下から今年で77年になる。年内に核不拡散条約(NPT)再検討会議(米ニューヨーク)と、1年前に発効した核兵器禁止条約の第1回締約国会議(オーストリア・ウィーン)が予定されるが、コロナ禍の影響でNPT再検討会議は延期され、被爆者らも渡米を断念した。「大事な時期に今こそ声を届けたいのに」。そう願ってやまない被爆者らに胸の内を聞いた。

憎しみを訴えにかえて

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2010年のNPT再検討会議開幕前日に米ニューヨークの街頭でスピーチした木村緋紗子さん=本人提供

 「私のような思いを誰にもしてほしくない」。8歳の時、広島で被爆した木村緋紗子(ひさこ)さん(84)はその一心で被爆体験を語り続けてきた。5年おきのNPT再検討会議に合わせて日本原水爆被害者団体協議会が派遣した代表団に加わり、2005、10、15年に渡米した。

 当初は20年春に予定されていた今回の会議でも長男と一緒に渡米するつもりだった。「これが最後かも」との思いだったが、コロナ禍で代表団派遣が見送られ、再検討会議の開催も再び延期された。

 77年前を思い出すと、いつも涙があふれる。爆心地から1・6キロで被爆し、祖父や父ら親族8人を亡くした。内科医だった父は至近距離で原爆に遭い、3日後、「無念でならぬ」と言い残して息を引き取った。

 原爆を投下した米国への憎しみは深く、「絶対に行かない」と思っていた。

 だが1999年、オランダで開かれた「平和市民会議」に参加した際、米国人青年が「私たちの国も戦争を放棄しないといけない」と語るのを聞き、「思いは伝わるんだ」と感激した。「憎しみを訴えに変える」。その決意を胸に05年のNPT再検討会議の代表団に初めて参加した。

 10年の時はニューヨークでのデモ行進の前に街頭でスピーチをした。父の写真を抱えると思いがあふれた。口をついた言葉は「父を返せ」だった。

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原爆で大やけどをした祖父について語る木村緋紗子さん(右端)の言葉に、生徒たちはじっと聴き入った=2010年5月、ニューヨーク市内の中学校、加戸靖史撮影

 米国でも多くの若者らが木村さんの話に耳を傾けてくれた。祖父が原爆開発計画に関わったという中学の女子生徒は「申し訳ない」と木村さんに語った。

 米国への憎しみは消えないが、市民に生の声で語れば、思いは通じる。そう実感しているからこそ、諦めずに伝え続けてきた。3月の核兵器禁止条約締約国会議の時には現地へ行きたいという。「生きている限りやらなくちゃ」(三宅梨紗子)

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広島で被爆した木村緋紗子さん。NPT再検討会議に合わせて過去3回渡米した=2021年12月21日午後1時40分、仙台市太白区、三宅梨紗子撮影

■再渡米果たせず、逝った母…

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