3月11日で東日本大震災から11年になる。復興は進み、関係者の記憶も薄れるなか、悲劇の伝承は難しくなっている。次の世代に何を、どう伝えていくべきなのだろうか。(聞き手・小村田義之、編集委員・東野真和)
「まず私が事実から目を背けない」 佐藤季さん(福島県相馬市立桜丘小学校教諭)
震災の記憶を継承するということはすごく複雑で、すごく難しいことだと思います。
東日本大震災の時、福島南高校の2年生でした。その夏、福島であった全国高校総合文化祭の劇の脚本に、私の書いた言葉が使われました。
「福島に生まれて、福島で育って、福島で働いて……。福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」
ここは荒廃した土地ではない。私はいま、ここで生きている。そんな気持ちを伝えたいと思ったのです。
でも、この言葉が首相の所信表明演説に引用され、全国に報道されると、たくさんの嬉(うれ)しい反響の一方で、不快に感じた人もいたようです。原発事故の影響で県外に避難した人もいるし、家に戻りたくても戻れない人もいる。「どうせ地元が残っている人にはわからない」。そんな言葉も記憶に残っています。
私が生まれ育ったのは福島市飯野町。山あいの小さな集落で、津波はテレビの向こう側の世界でした。それが2年前、福島県相馬市に小学校の教員として赴任することになった。津波などで多くの市民が亡くなり、わが子を津波でなくした先生や、自宅や職場を流された親御さんもいます。軽々しく口に出来ないような、それぞれ繊細な内情があることを、身をもって知ることになりました。
佐藤季さんが被災の記憶が直接ない子どもたちにいつも言う「自分で決めなさい」。そこには、困難に直面した時にきっと役に立つという思いがあります。記事後半では、岩手県で中学校の校長を務め、震災の記憶を各地に伝える鈴木利典さんと、震災をテーマにした小説を執筆した真山仁さんが、それぞれ「伝承」をテーマに語ります。
すべてを流され、失うという…