戦時中に燃やしたペリー提督の星条旗 レプリカがつないだ子孫の縁

中山由美
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 「黒船来航」で有名なペリー提督が授けた星条旗が約170年の時を経て、東京都小笠原諸島・父島と米国に住む子孫たちをつないだ。きっかけは、19世紀に父島に移住した米国人の子孫の元に、星条旗のレプリカが贈られた話を紹介した新聞記事だった。

 「来年、父島を訪れてお会いしたい」――。そんなメールが父島のセーボレー孝さん(64)の元へ届いた。昨年9月のことだ。差出人は米国メリーランド州に住むマシュー・カルブレイス・ペリーさん(80)。ペリー提督の5代目の子孫だ。「近藤章さんからあなたに星条旗が寄贈されたことを知り、大変感動し、うれしく思いました。私はペリー提督の子孫として、ナサニェル・セーボレーの子孫に非常に興味を持っていました」と書かれていた。朝日新聞に昨年8月に載った記事の英訳記事を読んだという。

 孝さんは1830年5月、父島に渡った米国マサチューセッツ州出身のナサニェル・セーボレー氏の5代目の子孫。ナサニェル氏ら米英伊デンマークと太平洋諸島の人々計約20人が、無人島だった父島に住み着いた。ペリー提督は浦賀(神奈川県横須賀市)に艦隊で現れる前の月、53年6月に父島へ来航。ナサニェル氏を行政長官に任命し、星条旗を授けたという。

 明治政府は76年、父島の領有を宣言。約70人いた欧米系などの島民はその後、日本国籍を取った。日本の入植者と共に暮らし、大正時代には人口5千人を超えた。

 だが太平洋戦争で米国は敵国となり、孝さんの祖父らは迫害を恐れ、大切な星条旗を燃やしてしまった。1944年には小笠原諸島の島民6886人が強制疎開し、男性825人は軍属として徴用。孝さんの伯父で、セーボレー家4代目のスウェイニー氏も徴用され、日本兵として米軍と戦って命を落とした。

 悲しい歴史を知った愛媛県西条市の近藤章さん(83)は「国旗は祖国を思う心と同じ。星条旗を返してあげたい」と考えた。ペリー提督が渡した星条旗は星が31個。州が増えた今より少ない。当時のデザインを仲間と調べ、専門店に再現してもらって縦102センチ、横163センチの旗を作り、昨夏、孝さんに贈った。

「優しさと敬意から生まれる行動は世界平和に必要」

 マシューさんは日本の知人や記者を介し、孝さんと近藤さんに連絡をとった。近藤さんは「ペリーの子孫の方からもお礼を頂いて本当にありがたい」。孝さんは「今年、父島に来たいと聞いて楽しみ」と話す。

 マシューさんは「国際草の根交流センター」(http://www.manjiro.or.jp/別ウインドウで開きます)の米国組織の理事を務める。センターは、ジョン万次郎(中濱万次郎)と、万次郎を助けた船長・ホイットフィールドの友情が子孫の代も続く縁を軸に「草の根交流サミット」を日米で毎年交互に開催している。

 マシューさんは2009年から参加し、何度も来日したが、父島はまだ。取材に「孝さんや近藤さんとつながれてうれしい。いつか会いたい」と答えた。センターが先月発行した「草の根通信」に今回の話を紹介し、こうつづった。「一人一人の優しさと敬意から生まれる行動は、現在世界中に起きている緊張状態において大変重要であり、世界平和のために大いに必要とされています」中山由美